「100年先に伝えたい日本が愛する豚肉料理」は、次の13品を紹介しています。
「トンカツ」
「餃子」
「カツ丼」
「回鍋肉」
「焼売」
「ホットドッグ」
「酢豚」
「チョリソー」
「東坡肉」
「豚汁」
「生姜焼き」
「ソースかつ丼」
「串カツ」
縄文時代の日本人は、まだ農耕や牧畜を行わず、狩猟採集をして暮らしていたといわれています。ウサギ、サル、クマなどの野生動物が狩猟の対象でしたが、イノシシとシカが獲物の9割以上を占めていました。イノシシとシカは、生息域が広範囲であること、比較的狩猟しやすい動物であること、一頭から多くの肉を得られること、食材として美味であることが、狩猟対象となった理由として挙げられます。
弥生時代にはブタの飼育が始まりました。各地で発掘された遺跡からそれがわかっています。ブタはイノシシを家畜化した動物ですが、野生のイノシシと違って肉質がよく、稲作によって定住生活をするようになった日本人にとって、安定的に食用肉を確保できる利点がありました。弥生時代のブタは、日本在来種のイノシシを飼い馴らしたものではなく、中国大陸ですでに家畜化されていたブタを日本に導入しました。これを「弥生ブタ」といいます。
しかし、完全に野生動物の狩猟がなくなってしまったわけではありません。古墳時代には「薬猟」と呼ばれる狩猟が定期的に行われていました。山地に生息する野生動物の肉には神聖な霊力があり、人の体に滋養をもたらしてくれる薬であるという山岳信仰があったと考えられます。牛や馬が古墳時代に日本に伝わりましたが、それらは農耕や輸送のための役畜として利用され、一般的な食材とは見なされていませんでした。
飛鳥時代になると、朝鮮半島から日本に仏教が伝わりました。生物の殺生を一切禁ずる仏教の教義は、日本の食文化にたいへん大きな影響を与えました。仏教に帰依した貴人の間では、獣肉食を忌避する風潮が高まりました。天武天皇の時代には、日本の食文化史上特筆すべき重大な出来事がありました。675年に日本で初めての「肉食禁止令の詔」が発令されたのです。それ以来、およそ1.200年にわたって日本国内では、獣肉食が表向きは禁止されることになってしまいました。
しかし、それはあくまで表向きのことです。仏教は一部の高貴な人々の宗教であり、殺生を一切認めないという思想は、一般の庶民には浸透していませんでした。「肉食禁止令の詔」では牛、馬、犬、猿、鶏の五種類の肉食が禁止されましたが、イノシシとシカは従来通り狩猟が可能でした。養豚も容認されていました。朝廷の権力が強く及ばなかった九州南部では、豚肉料理が発達し、鹿児島や奄美諸島や沖縄には、古くから数多くの豚肉料理が伝承されてきました。
とくに沖縄料理にとって豚肉は欠かすことのできない食材です。琉球王朝時代の琉球料理には、福建料理や台湾料理の影響が大きく見られ、「泣き声以外は全部食べる」といわれるほど多様な豚肉料理があります。ラフテー、ソーキ、ミミガー、足ティビチなど、それぞれの部位の個性を活かした料理が特徴です。
歴史的に沖縄と鹿児島の食文化には深いつながりがありますから、琉球料理の豚肉料理は薩摩料理にも受け継がれています。幕末から明治維新にかけて活躍した薩摩藩士、西郷隆盛も脂身のこってりした豚肉料理が大好物だったと伝えられています。激動の時代を生き抜いた西郷隆盛の活力源が、豚肉料理であったことは間違いないようです。