おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしいことばを探してみましょう。

100年先に伝えたい日本が愛する芋料理

「100年先に伝えたい日本が愛する芋料理」は、次の13品を紹介しています。

 

「大学芋」

ジャーマンポテト

「里芋の煮転がし」

「フライドポテト」

石焼き芋

「薯蕷蒸し」

「きぬかつぎ」

「ヴィシソワーズ」

「三日とろろ」

「粉吹き芋」

「アッシェ・パルマンティエ」

「麦とろ」

「芋煮」

 

 日本で最も古くから食用となっている芋類は、「山芋」です。日本原産の蔓性の多年草であり、日本各地の山野に自生しています。自然薯(じねんじょ)とも自然生(じねんしょう)とも呼ばれますが、正式な学名は「ヤマノイモ」といいます。

 ヤマノイモ科の植物は世界に広く分布し、中国原産の「ナガイモ」や西アフリカやラテンアメリカなどで栽培されている「ヤムイモ」もヤマノイモの仲間です。ヤムイモと山芋はどことなく呼称が似ていますが、偶然似ているだけであって因果関係があるわけではありません。

 山芋と並んで古くから食用となっている芋類は、「里芋」です。インドやマレー半島が原産のサトイモ科の植物です。東南アジアからポリネシアの島々まで広い範囲で栽培されている「タロイモ」の仲間です。日本にはイネよりも早く、縄文時代に伝わりました。

 里芋という呼称は、山芋に対する呼び名です。山で採集されるのが山芋で、人里で栽培されるのが里芋です。日本人にとって最も身近な芋類であり、栽培の歴史が長いことから、さまざまな異名を持ちます。単なる食材ではなく、日本の食文化に深いつながりがある芋類です。

 「コンニャクイモ」もサトイモ科の芋類ですが、里芋と違ってたいへんアクが強いために、そのままでは料理の食材には適しません。灰汁に浸けてアクを抜き、コンニャクに加工して食用とします。一般にコンニャクは芋類とは見なされませんが、煮物に適した食材であり、料理方法としては里芋に近い扱いを受けています。

 「ジャガイモ」は、南アメリカアンデス山脈が原産のナス科の作物です。大航海時代にヨーロッパに伝わりましたが、すぐには食用にされませんでした。ヨーロッパ人にとって見慣れない植物であり、毒があると信じられていたからです。しかし、プロセインのフリードリヒ大王やフランスの農学者パルマンティエの尽力もあって、ヨーロッパでも有用な食材として認められるようになりました。

 日本には、オランダ人によってジャワのジャカルタから伝わりました。当時のジャカルタは旧名ジャガトラであったために、日本では当初「ジャガタライモ」と呼ばれました。それがやがて「ジャガイモ」という名称になりました。ジャガイモが価値ある作物であることにいち早く気づいたのは、江戸時代の本草学者、小野蘭山でした。やせた土地や寒冷地でも育つので、救荒作物として各地で栽培を奨励しました。米が凶作のときでも、多くの人々の命を救ってくれたたいへんありがたい作物です。

 「サツマイモ」も、ジャガイモに劣らない救荒作物です。ヒルガオ科の多年生植物であり、甘藷(かんしょ)とも呼ばれています。サツマイモという名の通り、琉球から薩摩に伝わりました。その有用性を認めた江戸幕府の第八代将軍徳川吉宗公は、蘭学者青木昆陽に命じて栽培を広めました。そのおかげで、享保天明天保の江戸の三大飢饉で多くに人々の命を救うことができました。

 サツマイモは、ジャガイモに比べて甘みが強く、焼き芋やふかし芋にすると、ほくほくとした甘さを味わうことができます。サツマイモは「十三里」という異名を持っていますが、その理由は「栗より美味い」からです。「栗より」は「九里四里」のことであり、足して「十三里」になるという駄洒落です。

 ちなみに埼玉県川越市は、江戸時代にはサツマイモの名産地として知られていました。「川越芋」は江戸にも出回り、焼き芋が大流行しました。江戸の日本橋を起点とした川越街道を通って十三里の距離に川越があるため、「栗より美味い十三里」という言葉が生まれたといわれています。

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