おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしいことばを探してみましょう。

旬の「はしり」と旬の「なごり」

 

日本は季節がはっきりしている国ですから、

食材にも四季の旬があります。

 

旬とは四季の食材が最も美味しくなる時期のことです。

旬を味わうことは四季の恩恵を味わうことです。

 

ところが、近年は露地栽培よりハウス栽培が主流となり、

野菜や果物の季節感がなくなったと言われています。

 

食材が一年中出回るのはたしかにありがたいことですが、

一体いつが旬なのかわからない食材もあります。

 

中には、意図的に季節をずらして栽培することもあります。

その代表的な果実がイチゴです。

 

本来イチゴの旬は、晩春から初夏にかけた季節です。

露地栽培のイチゴはその頃に出荷されます。

 

ところが、イチゴの需要が最も高まるのは、じつは12月です。

クリスマスケーキのデコレーションに使われるからです。

 

そのため、ハウス栽培のイチゴはその時期に最盛期を迎えます。

本来のイチゴの旬とは正反対の季節に流通しているのです。

 

もちろんハウス栽培のイチゴの品質は露地栽培に劣りません。

露地栽培の旬は初夏、ハウス栽培の旬は初冬とも言えます。

 

ところで、旬には「はしり」と「なごり」があります。

すなわち旬の「始まり」と「終わり」のことです。

 

今の季節でいうならば、ナシやマスカットが旬の「はしり」で、

スイカが旬の「なごり」です。

 

店頭でナシやマスカットを見かけると「もうそんな季節なのか」と

秋の訪れを感じます。

 

その隣をみると、まるで夏の別れを惜しむかのようにスイカが

寂しそうに並んでいます。

 

来年までスイカに会えないかと思うと、何だか名残惜しく、

ナシやマスカットではなく、ついスイカを買ってしまいます。

 

秋も深まってくると、今度はカキや洋ナシやクリが現れます。

それらを見るたびに「もうそんな季節なのか」と感じます。

 

そして晩秋から初冬にかけて、イチゴが店頭に並びます。

やはり「もうそんな季節なのか」と感じ入ります。

 

ちょうどハロウィーンが終わり、黒とオレンジ色だった街が、

クリスマス一色に様変わりする季節です。

 

もしかするとイチゴはクリスマスの到来を告げる使者のような

果実なのかもしれません。

 

クリスマスが終わると、イチゴは次に春の到来を告げる使者に

変身して翌年の初夏まで市場に出回ります。

 

イチゴは旬の「はしり」から「なごり」までが、じつに長い

季節を越えた果実なのです。

 

江戸の「ももんじ屋」とはどのような店か

 

江戸は世界にも類を見ないほど急速に発展した大都市です。

推定人口は100万人を超えたとも言われています。

 

そのため、手軽に食べられる外食産業が発達していきました。

江戸っ子が大好きな美味しい料理が次々と生まれました。

 

現代でも人気の天ぷら屋、そば屋、寿司屋、うなぎ屋は、

全て江戸時代に登場した外食産業です。

 

中には「ももんじ屋」という店もありました。

一体どのような食べものを扱ったのでしょうか。

 

じつは、イノシシやシカなどの獣肉を提供した店です。

「ももんじ」は漢字では「百獣」と書きます。

 

当時は獣肉を食べることが表向きは禁じられていました。

ただし、あくまで表向きのことです。

 

日本に仏教が伝来してから、たしかに「四つ足」の肉を

食べることを忌避する風習は広まりました。

 

しかし完全に食肉がなくなってしまったかというと、

そうではありません。

 

食肉は滋養がつくことから一種の民間療法と見なされ、

「薬喰い」と呼ばれて正当化されていました。

 

もちろん正当化されているとは言え、人前では堂々と

獣肉を食べるわけにはいきません。

 

そこで「ももんじ屋」では隠語が用いられていました。

たとえば、イノシシの別名は「山クジラ」です。

 

クジラはホニュウ類ですが、四つ足ではありません。

江戸時代までは魚類と見なされていました。

 

クジラの肉を食べることは魚と同じように合法ですから、

それにあやかって「山クジラ」と呼んだのでしょう。

 

また、イノシシの肉は「ボタン」とも呼ばれていました。

肉の色が牡丹(ぼたん)の花に似ているからです。

 

その一方、シカの肉は「モミジ」と呼ばれています。

花札の「紅葉に鹿」の図柄から名づけられました。

 

鶏肉を「カシワ」と呼び、馬肉を「サクラ」と呼ぶのと

同じような風流な呼び名です。

 

ところで、「ももんじ屋」で使うイノシシやシカの肉は、

一体どこから仕入れたのでしょうか。

江戸の近郊の農村で駆除された害獣が供給されたようです。

主に北関東から利根川水系を利用して運ばれました。

 

イノシシやシカばかりでなく、サルやキツネやオオカミも

運ばれたと言われています。

 

やがて明治時代になると、「ももんじ屋」は姿を消します。

「すき焼き屋」や「牛鍋屋」が台頭してくるからです。

 

獣肉も、イノシシやシカから牛肉や豚肉に変わってきます。

しかし獣肉が愛されていることは変わりません。

 

たとえ密かに食べようとも、堂々と食べようとも、

美味しい肉料理は美味しいのです。

 

培養肉と食肉文化の未来

 

屠殺(とさつ)という言葉があまり使われなくなりました。

その意味を知らない子どもたちも増えています。

 

子どもたちばかりではありません。大人でさえ屠殺の意味を

知らない人がいます。

 

屠殺とは、食用のために家畜などの動物を殺すことです。

現在では「食肉処理」という表現の方が一般的です。

 

もちろん表現を変えても、殺すことに変わりありません。

私たちは他の動物の命をいただいて生きているのです。

 

しかし、スーパーの精肉売り場に並んだ商品を見ると、

そのことを忘れてしまいそうです。

 

きれいにパックされた精肉からは、屠殺の残酷さが

伝わってきません。

 

肉が精肉店にやって来るのは、屠殺場からではなく、

あくまで食肉処理工場からなのです。

 

それでも近年は、家畜の命を奪うことを忌避する風潮が、

次第に強まってきています。

 

ベジタリアンやビーガンが増えたことや、ソイミートが

普及した理由の一つにも、そうした背景があります。

 

単なる動物愛護にとどまらず、動物の命も人間の命に

等しいという考え方が見られるようになっています。

 

それに呼応するかのように新しい肉が生まれました。

それが培養肉です。

 

その名の通り、動物の細胞を培養して作った肉です。

動物の命を奪うことなく生産することができます。

 

何十万年も続けてきた人類の長い食肉文化の歴史で、

初めて登場した画期的な食材です。

 

動物に由来しないアニマルフリーの食材ですから、

動物福祉や動物愛護の点でも評価されています。

 

ただ、「食わず嫌い」という表現があるように、

人は新しい食べものに対して保守的です。

 

一度も食べたことがない食品に違和感を持つことも

嫌悪感を持つことも珍しいことではありません。

 

培養肉が開発され始めた当初は、否定的な意見も

少なくありませんでした、

 

人工的に作られた肉を食べてみたいという人は

少数派に過ぎませんでした。

 

ところが、近年の培養肉に関する意識調査では、

消費者の意見が大きく変わってきています。

 

動物を屠殺した従来の肉よりも好感度は高く、

肯定的な意見が急速に増えています。

 

近い将来、培養肉を使ったレシピやメニューが

一般的になるかもしれません。

 

食生活が豊かになることは好ましいことです。

培養肉への期待はますます高まっています。

 

なぜ日本ではジンギスカン以外の羊肉料理があまり普及しないのか

 

日本で一般に羊肉を食べるようになったのは近代以降です。

明治時代に北海道で羊の飼育が始まってからのことです。

 

もともと羊は食用ではなく、羊毛生産の目的で飼育されました。

徴兵制の導入で軍服用の羊毛の需要が高まったからです。

 

じつは明治時代になるまで、ほとんどの日本人は実際に羊を

見たことがありませんでした。

 

羊は、古くから十二支の一つとして親しまれてきましたが、

日本人にとって龍と同じように架空の動物だったのです。

 

ですから、羊の肉を食べることは、龍の肉を食べるのと

同じくらい非現実的だったに違いありません。

 

羊肉以外の牛肉や豚肉などの獣肉食は、文明開化とともに

急速に日本の食文化に浸透していきました。

 

それは、日本にやって来た外国人の影響に因るところも

大きいのですが、理由はそればかりではありません。

 

すでに江戸時代までに、民衆の間でも密かに獣肉を食べる

習慣が根づいていたからです。

 

表向きは仏教の影響によって食肉が忌避されていましたが、

じつは「薬食い」と称して獣肉が食べられていました。

 

やがて明治時代になって牛や豚の飼育が本格的に始まると、

牛肉や豚肉を使ったさまざまな料理が誕生しました。

 

たとえば、すき焼き、しゃぶしゃぶ、トンカツ、豚の角煮は、

日本人の嗜好に合う日本独自の肉料理です。

 

ところが、羊肉を使った肉料理はあまり普及しませんでした。

唯一日本料理として知られているはジンギスカンだけです。

 

その理由は、牛や豚が都市部近郊で飼育されたのに対して、

羊は主に北海道で飼育されたことが挙げられます。

 

冷蔵や冷凍の技術のない時代では、消費地に近くなければ、

新鮮な肉を供給することができません。

 

また、羊肉を美味しく食べる料理方法がわからなければ、

肉が新鮮であってもやはり普及しません。

 

とくに羊肉には独特の臭みがあります。いかにその臭みを

抑えることができるかが羊肉料理の重要な課題です。

 

ジンギスカンは、その数少ない成功例のうちの一つです。

タレに漬け込むことで上手に臭みを消しています。

 

しかも、カブト型のジンギスカン鍋で焼くことによって、

臭みの強い脂を落とすことができます。

 

ジンギスカンはじつに理想的な羊肉料理なのです。

世界に誇る日本料理であると言えます。

 

ところが、ジンギスカン以外の羊肉料理となると、

日本であまり知られている料理がありません。

 

それはなぜでしょうか。なぜ牛肉や豚肉のように、

日本では羊肉料理が普及しないのでしょうか。

 

その理由の一つは、あくまで個人的な意見なのですが、

醬油が羊肉に合わないからではないかと考えます。

 

さらに二つめの理由は、日本の代表的な香辛料である

山葵や生姜や山椒が羊肉に合わないからと考えます。

 

牛肉や豚肉と違って、羊肉を使った大和煮や時雨煮や

生姜焼きなどは聞いたことがありません。

 

羊肉を美味しく食べるには、どうしても西洋風に

料理せざるを得ません。

 

もちろんそれはそれで十分に美味しいのですが、

残念ながら日本料理とは呼べません。

 

やはり日本料理の中で代表的な羊肉料理といえば、

ジンギスカンなのです。

 

羊肉はラムとマトンがあるのになぜ豚肉はポークだけなのか

 

羊肉には「ラム」と「マトン」の二つがあります。

種類が違うわけではなく、年齢による違いです。

 

およそ生後1年未満の羊をラム、生後1年以上の羊を

マトンと呼んでいます。

 

しかし、羊はたいてい群れで放牧して飼育しますので、

一頭ずつ正確な年齢を把握することができません。

 

そこで門歯の有無を基準にして、まだ門歯がなければラム、

左右1本ずつ門歯が生えればマトンに分類します。

 

ただし、その基準は国によって異なり、主要な生産国である

オーストラリアとニュージーランドでも多少違うそうです。

 

ラムとマトンを区別する理由は、肉質が異なるからです。

当然、ラムとマトンの料理方法も異なります。

 

ラムは肉が柔らかく、淡白でクセが少ないのが特徴です。

マトンは肉が引き締まり、強い旨みとコクがあります。

 

一番大きな違いは、何と言っても羊肉の「臭み」です。

ラムに比べると、マトンには独特の臭みがあります。

 

この臭みは、「グラス臭」とも呼ばれています。

羊のエサとなる牧草が主な要因です。

 

生まれたばかりの羊には門歯がなく、牧草を食べません。

母乳で育ちますから、まだ臭みがありません。

 

ところが、門歯が生えて牧草を食べるようになると、

肉の臭みが生じてきます。

 

そのためマトンを料理するときは、香辛料を効かせて

肉の臭みを消す処理が必要です。

 

また、臭みの成分は脂肪に多く含まれているので、

焼きながら脂を落とす料理も適しています。

 

古くから羊肉を食用とする地域で、ケバブのような料理が

伝統的に普及しているのは理に適ったことなのです。

 

ところで、羊肉にラムとマトンの二つがあるのに、

なぜ豚肉はポークだけなのでしょうか。

 

その理由は、豚が草食性ではなく雑食性だからです。

羊のような「グラス臭」を生じないのです。

 

また、豚は羊と違って大人に成長するまでの期間が短く、

生後8か月頃には、もう子を産む世代になります。

 

そのため、豚が出荷される時期も羊よりかなり早く、

生後6か月を過ぎる頃から出荷が始まります。

 

豚の平均寿命が10年から15年であることを考えると、

市場に出荷される豚肉はほとんどが子豚です。

 

子豚には、ラムとマトンのような年齢の差がないので、

ポークという名称だけで十分なのです。

 

生薬として人の役に立っているのに悪実と呼ばれる悲しいゴボウ

 

野菜や果実は、食用だけでなく薬用としても利用されますが、

ときに食用と薬用で名称が異なることがあります。

 

たとえば、アンズの種子は杏仁(きょうにん)と呼ばれます。

生薬として咳止めなどの効果があります。

 

じつは、杏仁は苦い薬なので昔から甘みをつけて服用しました。

それが杏仁豆腐の原型となりました。

 

温州ミカンの皮を干した生薬は陳皮(ちんぴ)と呼ばれます。

柑橘類独特の芳香があり、健胃剤に用いられます。

 

細かく刻んだ陳皮は七味唐辛子や御屠蘇にも入っています。

食欲不振を癒し、健康増進に効果があります。

 

トウモロコシのひげは南蛮毛(なんばんもう)という生薬です。

韓国では伝統的にトウモロコシひげ茶として飲まれています。

 

香ばしい風味とほかな甘みがあり、日本でも人気があります。

ちなみに英語ではコーン・シルク・ティーというそうです。

 

ナツメはドライフルーツとして親しまれている果実ですが、

生薬では大棗(たいそう)と呼ばれています。

 

強壮、鎮静、利尿の効果があり、漢方薬に用いられる他に、

参鶏湯などの薬膳料理にも欠かせません。

 

ショウガは香辛料として使うときは「しょうが」と呼ばれますが、

生薬のときは生姜と書いて「しょうきょう」と読みます。

 

根ショウガを乾燥させた生薬ですが、生のショウガと同様に、

発汗作用や健胃作用があり、食欲増進の効果があります。

 

ところで、野菜として有名でも生薬としてあまり知られていない

悪実(あくじつ)という変わった名称の生薬があります。

 

じつは、ゴボウの実のことを意味しますが、もっと正確にいうと、

ゴボウの種子を干したものです。

 

抗菌作用が強く、種子を煎って粉末にしたものを服用すると、

血糖値を下げたり血管を拡張したりする効果があるそうです。

 

それにしても、なぜそれほど人に役立つような生薬の名称が、

よりによって悪実なのでしょうか。

 

他にもっと好感を持てるような名称はなかったのでしょうか。

なぜ悪実ではなく良実にできなかったのでしょうか。

 

いろいろと調べてみても、その理油は明確にわかりませんが、

私の個人的な考えでは、音韻に因るものだと推察します。

 

漢和辞典によると、古代中国ではどうやら「悪」という字も

「薬」という字も同じ「やく」という発音だったようです。

 

ですから、悪実の「悪」は悪いという意味ではなく、

「薬」という意味ではなかったかと私は考えます。

 

本当は「悪実」という名前は、「薬実」の意味なのです。

そうであれば十分に納得できます。

 

それにしても、ゴボウほど誤解を受ける食材はありません。

ときには木の根に間違えられることもあります。

 

しかし、たとえ泥臭くてもゴボウは質実剛健な野菜です。

その価値は決して変わることはありません。

 

ゴボウの花は美しいのにあまり知られていないのはなぜか

 

 

ゴボウの花はアザミの花にたいへんよく似ています。

トゲトゲの房の中に紅紫色の美しい花が咲きます。

 

ゴボウもアザミもキク科の植物ですから、

花が似ているのは当然かもしれません。

 

もちろん似ているのは花ばかりではありません。

根が食用になるところも同じです。

 

モリアザミの根は「ヤマゴボウ」とも称されて、

「味噌漬け」や「醬油漬け」に加工されます。

 

逆に、全く似ていないのは葉の部分です。

アザミの葉は切れ込みが深く尖っています。

 

それに比べ、ゴボウの葉はフキの葉のように丸みを帯び、

何だか美味しそうに見えます。

 

しかし、美味しそうに見えても実際にはゴボウの葉は、

かなりアクが強いので食用に向きません。

 

ところが、根を食べるのではなく、「葉ゴボウ」として

葉や茎を食べる品種もあります。

 

たとえば、福井県特産の「越前白茎」という品種や、

大阪府八尾市特産の「若ゴボウ」がそうです。

 

ただし、葉ゴボウは主に西日本で消費されるそうです。

全国的にはあまり知られていません。

 

じつはアザミの葉も美味しく食べられるのですが、

それもあまり知られていません。

 

春先のアザミの若い葉はトゲも少なく柔らかいので、

それを摘んで「天ぷら」や「おひたし」にします。

 

漫画家の矢口高雄氏は、「ボクの学校は山と川」という

エッセイの中で、アザミの葉の味噌汁を紹介しています。

 

矢口氏が子どもの頃、お母さんと一緒に山中に野良仕事に

出かけたときの話です。

 

お昼になると、お母さんが山に咲くアザミの葉を摘んで、

その場で味噌汁を作ってくれたそうです。

 

それがたいへん美味しかったと述べています。

まさに山の恵みのような食材です。

 

ところで、ゴボウ畑で葉が茂る風景はよく見られますが、

ゴボウの花が咲く風景はほとんど見られません。

 

なぜでしょうか。

 

その理由は、ゴボウの花が咲く前にゴボウが収穫されて

しまうからです。

 

一般にゴボウの種子は春先に播かれて、その年の秋から

冬にかけて収穫されます。

 

新ゴボウの場合はもっと早く、成長し切っていない初夏に

収穫されます。

 

もし収穫せずにそのまま年を越すと、翌年の夏には、

畑一面に美しいゴボウの花が咲き乱れるはずです。

 

実際はそうなる前に収穫してしまうので、残念ながら、

ゴボウ畑でゴボウの花を見ることはありません。

 

もし美しいゴボウの花を見てしまうと、花が枯れるまで、

ゴボウの収穫を待ちたくなるかもしれません。

 

そうなると花に栄養を取られてしまい、美味しいゴボウが

収穫できなくなります。

 

やはりここは一つ、「花より団子」ならぬ、

「花よりゴボウ」でいくべきでしょうか。