おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

極上の乳製品と同じ名前を持つ天皇

現在の令和の天皇陛下は、初代の神武天皇から数えて

第126代目に当たる天皇でいらっしゃいます。

 

歴代の天皇はそれぞれ由緒ある名前をお持ちですが、

意外な名前の天皇もいらっしゃいました。

 

たとえば、第60代の醍醐天皇がそうです。

 

平安時代中期に34年間在位された天皇です。

その安定した治世は「延喜の治」と称されています。

 

政治だけでなく、和歌の新興にも力を尽くしました。

古今和歌集の編纂を紀貫之に命じています。

 

しかし菅原道真公を追放した天皇としても知られています。

菅原道真公は失意のうちに大宰府で亡くなりました。

 

その後、醍醐天皇の身内に次々と不幸な出来事が起こり、

菅原道真公の怨霊の祟りだという噂が広がります。

 

醍醐天皇のお住まいの清涼殿にも大きな落雷がありました。

内裏が延焼しましたが、天皇は何とか難を逃れます。

 

しかしご心労が重なったせいか病床に伏してしまわれます。

ついに皇太子に譲位し、その数日後に崩御されました。

 

波乱に富んだご生涯を送られた醍醐天皇ですが、

醍醐とはどういう意味なのでしょうか。

 

じつは古代の乳製品のことです。

濃厚で甘みのある極上の味とされています。

 

その製法は遥か昔に失われてしまいましたが、

熟成させたチーズではないかと考えられています。

 

醍醐について「大般涅槃経」という仏典にはこう記されています。

 

牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥を出し、

生酥より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す。

 

醍醐が生乳から精製される最上の美味であることにたとえて、

涅槃経が仏教の最上の教えであることを説いています。

 

実際に醍醐がどのような乳製品だったのか、研究者によって

失われた味の再現が試みられています。

 

前述の通り、熟成させたチーズという説が有力ですが、

バタークリームともヨーグルトとも言われています。

 

いずれにしても、醍醐天皇が醍醐を召し上がったかどうか、

その記録は残っていません。

 

ちなみに醍醐天皇の名前は京都の地名に由来します。

乳製品から命名したわけではありません。

 

念のため。

 

米菓の「柿の種」はなぜ柿の種の形をしているのか

「柿の種」という名前の米菓があります。

国民的に愛されているお菓子です。

 

誕生したのは1923年(大正12年)のことです。

つまり今からちょうど100年前です。

 

柿の種は、最初から柿の種の形をしていたわけではありません。

柿の種の形になったのは、ある偶然がきっかけです。

 

柿の種が生まれたのは、新潟県にある米菓工場です。

生みの親は、今井與三郎さんと奥さんです。

 

当初は、うるち米を使って煎餅を焼いていましたが、

もち米を使って「あられ」を作ることにしました。

 

薄く延ばした餅を重ね、型抜きで小判型に成形します。

それを香ばしく焼いて醤油と唐辛子で色付けします。

 

ところが、奥さんがうっかり型抜きを踏んでしまいました。

型抜きは変形して三日月型になってしまいました。

 

與三郎さんが直そうとしますが、元の小判型に戻りません。

仕方なく、三日月型のあられを作ることになりました。

 

ところが珍しい形がかえって評判となります。

おかげで、あられの売り上げが伸びます。

 

柿の種に似ているとお客さんに言われたことをヒントにして、

あられを「柿の種」と命名することにしました。

 

こうして柿の種の形をした「柿の種」が誕生しました。

 

與三郎さんは柿の種を商標登録しませんでしたので、

今では多くの米菓メーカーが柿の種を発売しています。

 

昭和になると、柿の種にピーナッツを混ぜるようになりました。

いわゆる「柿ピー」です。

 

誰が最初に思いついたのか、正確にはわかっていませんが、

柿の種とピーナッツの相性の良さは抜群です。

 

かつて柿の種とピーナッツの比率は6:4だったそうです。

長年にわたって黄金の比率とされてきました。

 

しかし現在では7:3が主流となっているそうです。

消費者の嗜好が変わってきたのでしょうか。

 

もちろんピーナッツの入らない柿の種も根強い人気があります。

生粋の柿の種愛好者も少なくありません。

 

渋柿の意外な使い道

時代劇では貧しい下級武士や浪人が内職をする場面があります。

傘張りの内職はよく見られます。

 

日本の和傘には「番傘」や「唐傘」などがあります。

いずれも竹で骨組みを作り、和紙を張ります。

 

当然、和紙は雨に濡れると破れてしまいます。

そこで傘張りをするときに防水加工を施します。

 

通常は油を塗りますが、他の素材を用いることもあります。

それが渋柿から抽出した「渋」です。

 

未熟な渋柿を絞って発酵させた抽出液のことです。

防水だけでなく、防腐と防虫の効果もあります。

 

渋を和紙に塗って乾燥させると紙質が硬くなります。

しかも油のようにべとつきません。

 

たいへん便利は物質ですが、一つだけ欠点があります。

不快な臭いです。

 

渋を発酵させる過程で「酪酸」が生じます。

それが悪臭の原因です。

 

酪酸はチーズなどの酪農製品に含まれています。

チーズのあの匂いを生み出す物質です。

 

フランスの「エポワス」や「マロワール」は、

世界で最も臭いチーズと言われています。

 

おそらく酪酸がたっぷり含まれているのでしょう。

 

酪酸は植物にも含まれ、銀杏の匂いの原因にもなっています。

どのような匂いか容易に想像がつくのではないでしょうか。

 

しかし、渋柿に酪酸は含まれていません。

干し柿にしても生じません。

 

安心して干し柿を食べることができます。

 

渋柿はなぜ干し柿にすると甘くなるのか

柿には、甘柿と渋柿があります。

甘柿は生食できますが、渋柿はできません。

 

じつは渋柿にも多くの糖分が含まれています。

むしろ甘柿よりも糖度が高いほどです。

 

では、なぜ渋柿は甘くないのでしょうか。

 

渋柿の渋みの原因はタンニンと呼ばれる物質です。

可溶性ですから、口の中のだ液に溶けます。

 

それが非常に強い渋みを生じ、味覚を麻痺させます。

そのため甘みがあっても感じられないのです。

 

しかし柿を天日に干すと、タンニンが不溶性に変わります。

いわゆる「渋みが抜けた」状態です。

 

正しくは、渋みが抜けるのではなく、感じなくなるのですが、

いずれにしても十分な甘みを感じることができます。

 

面白いことに、甘柿で同じように干し柿を作っても

渋柿にように甘くはならないそうです。

 

柿の種類は約1,000種類もありますが、そのほとんどは渋柿です。

甘柿は、突然変異で生まれたのではないかと考えられています。

 

渋柿の渋みを抜く方法は、天日に干す方法だけではありません。

アルコールを吹きつける方法もあります。

 

焼酎の樽に漬けた「樽柿」は、昔から伝わる渋抜きの方法です。

干し柿ほど水分が抜けることなく、独特の食感があります。

 

現在はエチレンガスやドライアイスを使う方法もあります。

電子レンジで加熱するという方法もあるそうです。

 

干し柿は保存食品でもあり、昔はかなり乾燥させたようです。

歯が立たないほど固い干し柿もありました。

 

半生状態の柔らかい干し柿が現れたのは大正時代です。

その秘訣は硫黄燻蒸にあります。

 

硫黄燻蒸とは、硫黄を燃焼させて発生した亜硫酸ガスで

干し柿をいぶすという方法です。

 

鮮やかな柿の色を保ち、カビの発生を防ぐことができます。

防腐効果があり、水分が高くても長期保存が可能です。

 

亜硫酸ガスは、干し柿以外にもさまざまな食品に使われています。

 

じつは有害な物質なのですが、燻蒸してから柿を干している間に

完全に揮発するので健康に害はありません。

 

この硫黄燻蒸は、アメリカの干しブドウの製法に学んだそうです。

研究を重ねて干し柿にも応用できるようにしました。

 

おかげで美味しい干し柿を食べることができます。

先人の知恵に感謝しなければなりません。

 

柿が大好物だった石田三成が最期に柿を拒んだ理由

戦国武将の石田三成は柿が大好物だったと伝えられています。

 

各武将から三成に柿が贈られたという記録が残っています。

それに対する三成の返礼の書状も残っています。

 

三成自身もまた、他の武将をもてなすために柿をご馳走しています。

わざわざ柿を持参して不仲の武将を訪れたこともあります。

 

たとえば細川忠興がそうです。三成の天敵でした。

秀吉の死後、急速に仲が悪くなっていきました。

 

もっとも、仲が悪いのは忠興に限ったことではありません。

福島正則加藤清正黒田長政も三成の天敵でした。

 

柿を受け取った忠興は、一礼して柿を食べたと伝わっていますが、

「こんなものでわしを懐柔するのか」と怒ったとも伝わっています。

 

計算高い策略家の三成のことですから手抜かりはありません。

おそらく前者の方が真実のようです。

 

当時は、柿といえば生の柿ではなく干し柿のことを指しました。

あえて干し柿と表現することはありません。

 

なぜならば戦国武将は安易に生の果実を食べたりしないからです。

生の果実はお腹をこわしてしまう恐れがあります。

 

戦国武将は食べものに細心の注意を払っていました。

常に毒見役を召し抱えているほどです。

 

色鮮やかな生の柿はたいへん美味しそうに見えますが、

武将にとっては禁断の果実だったのです。

 

やがて、三成は関ヶ原の戦いに敗れて処刑されることになります。

刑場に引かれた三成は、喉が渇き白湯を所望します。

 

残念ながら白湯はありませんが、その代わり柿があります。

おそらく刑場のそばに柿の木が生えていたのでしょう。

 

警護の兵は、柿ならあるぞと言って三成に勧めます。

しかし三成は、それを断ります。

 

「柿には胆の毒があるゆえに食さぬ」というのがその理由です。

実際に柿に毒はありませんが、体を冷やすのでよくないという意味です。

 

これから処刑される人間が体を気遣うのかと警護の兵は笑いますが、

三成は毅然として答えます。

 

大望を持つ者は己の命を大事とし、本意を達せんとするものなり。」

最期まで武人としての誇りを捨てなかった三成の意地が感じられます。

 

ハタハタはなぜ魚偏に神と書くのか

魚の名前には、魚偏の漢字で表されるものが多くあります。

 

たとえば、サバは漢字で「鯖」と書きます。

代表的な青魚ですから、もっともな漢字です。

 

タラは漢字で「鱈」と書きます。

雪のように身が白く、雪が降る寒い冬に旬を迎えます。

 

ヒラメは漢字で「鮃」と書きます。

この上なく的確にヒラメの体型を表現しています。

 

中には説明が必要な魚たちもいます。

 

サワラは漢字で「鰆」と書きますが、

じつは春ではなく、冬に旬を迎えます。

 

春になると産卵のために沿岸にやってきます。

人々に春を告げる魚ですから「鰆」と書きます。

 

また、アジは味がよいのでアジと名づけられましたが、

参ってしまうほど旨いので「鯵」と書きます。

 

ニシンは漢字で「鯡」と書きます。

「魚に非ず」という意味です。

 

ニシンが獲れる北海道は、今でこそ米づくりが盛んですが、

寒冷地であるため昔は稲が育ちませんでした。

 

そこで米の代わりにニシンを年貢に納めていました。

米であって魚ではないという意味で「鯡」と書きます。

 

ところで、ハタハタは漢字で「鰰」と書きます。

なぜ魚偏に神なのでしょうか。

 

おそらく雷神に由来すると考えられます。

そのため、魚偏に雷と書くこともあります。

 

ハタハタは日本海オホーツク海の深海に生息していますが、

晩秋から冬にかけて、産卵のために浅瀬に集まります。

 

とくに海が荒れて雷が鳴る悪天候のときに大群でやって来ます。

そのため「カミナリウオ」の異名を持ちます。

 

ハタハタという一風変わった名前は雷鳴に由来します。

ゴロゴロやドンドンに相当する擬音語です。

 

現代でも「青天の霹靂(へきれき)」という慣用表現が残っていますが、

霹靂は、「はたた」とも「はたはた」とも読みます。

 

古語では激しい雷のことを霹靂神(はたたがみ)と呼んでいました。

おそらくそれがハタハタの語源であると考えられます。

 

ハタハタといえば昔から秋田県が有名です。

田楽やハタハタ寿司などの郷土料理があります。

 

秋田名物「しょっつる」はハタハタを発酵させた魚醤です。

日本三大魚醤の一つに数えられています。

 

しかし、残念ながら近年はハタハタの漁獲量が激減しています。

現在では秋田県よりも山陰地方の漁獲量が多くなっています。

 

徹底した漁獲制限や資源保護は今も続けられています。

ハタハタが雷神の如く復活するのを祈りたいと思います。

 

「つ」の字のハモ

ハモは京都の夏の味覚の代表です。

梅雨が明けて祇園祭の頃に旬を迎えます。

 

しかし、じつは秋にも旬を迎えます。

産卵を終えて身が肥えてくるからです。

 

産卵で身が細るのは、どの魚もそうです。

ハモに限ったことではありません。

 

寒い季節になると脂が乗るのは、どの魚もそうです。

ハモに限ったことではありません。

 

秋のハモは、「落ちハモ」「名残りハモ」と呼ばれています。

たいへん脂が乗っています。

 

夏のハモは、さっと湯引きして梅酢和えが最高です。

さっぱりとしたハモの旨みが味わえます。

 

透き通るような純白のハモに赤い梅が印象的です。

いかにも夏らしく爽やかで涼し気な一品です。

 

秋のハモは、天婦羅、蒲焼き、すき焼きに向いています。

ハモの深く豊かな旨みが味わえます。

 

究極のハモ料理は土瓶蒸しです。

ハモと松茸が奏でる最高傑作です。

 

松茸の土瓶蒸しは日本料理の至宝ですが、

そこにハモが加わります。

 

もう何も言葉は要りません。

ただ幸福感に浸るだけです。

 

なるほど舌の肥えた京都の人がハモを愛するわけですが、

京都のハモ料理はなぜ美味しいのでしょうか。

 

京都は内陸に位置するので、海産物には恵まれていません。

その代わり海産物を美味しく食べる技術に長けています。

 

たとえば、京料理に欠かせない昆布は北海道からやってきます。

「ニシンそば」に使われる身欠きニシンもそうです。

 

サバは若狭から「サバ街道」を通って京都に運ばれます。

グジと呼ばれる甘鯛も若狭からやってきます。

 

そうした海産物を大切に扱う伝統が京都にはあります。

そのため京料理は洗練されているのです。

 

ハモも京料理の定番ですが、京都ではハモは獲れません。

主に大阪湾で水揚げされたハモが京都に運ばれます。

 

ハモはたいへん生命力の強い生きものです。

京都に運ばれてもまだ生きています。

 

ただし、生け簀に入れると共食いしてしまいます。

一匹ずつ木桶に入れておきます。

 

大振りのハモは木桶に納まり切りません。

そのため、ひらがなの「つ」の字になります。

 

「つ」の字のハモは身が肥えていて生きのよい証拠です。

目利きの料理人に好まれるハモです。

 

京都のハモ料理が美味しい理由はいくつかありますが、

「つ」の字のハモが使われることもその一つです。