おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしいことばを探してみましょう。

100年先に伝えたい日本の美味しい玉子料理

「100年先に伝えたい日本の美味しい玉子料理」は次の10品を紹介しています。

 

「茶碗蒸し」

「親子丼」

「だし巻き玉子」

玉子豆腐

「オムライス」

「目玉焼き」

「卵かけご飯」

「伊達巻き」

「温泉卵」

「玉子焼き」

 

 卵は「食材の優等生」とも「物価の優等生」ともいわれています。栄養価が高く、しかも安価だからです。通常は十個一パックが三百円程度で売られています。一個当たり約三十円といったところです。安売りするときは一個当たり二十円ほどに値が下がることもあります。

 じつはこの価格は数十年もの間あまり変わっていません。今から六十年以上前の昭和三十年代もこの水準でした。戦後の昭和の世相を描いた長谷川町子氏の四コマ漫画の名作「サザエさん」に、カツオがお遣いを頼まれて卵を買いに行く場面がありしたが、その時代の卵はパック売りではなく、一個ずつバラ売りされていました。卵が割れないように卵屋さんが古新聞で包んでくれました。

 漫画の中では、たしか卵一個の値段が十五円か二十円だったように覚えています。現在の物価が当時の十数倍であることを考えると、この数十年もの間、非常に安定した価格を維持しています。逆にいうと、昔は卵が高級食材だったということです。今の価格に換算すると一個当たり百五十円から二百円ほどではないでしょうか。

 ですから、卵焼きはたいへんなご馳走です。子どもたちにも人気の料理でした。「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉が残っているほど、昭和時代には絶大な人気を誇っていました。現代はカレーやハンバーグなどの人気メニューに押され気味ですが、庶民的に愛されている料理であることに変わりありません。卵は今も昔も優等生なのです。

 玉子料理の中でも、ゆで卵は最も簡単な料理です。手軽に美味しく食べられます。家庭でも作られますが、お店でも売られています。じつは、ゆで卵売りの歴史はたいへん古く、江戸時代にはすでに売られていました。江戸時代は貨幣経済が発達したおかげで、都市部では外食産業が盛んになりました。とくに、当時の江戸は世界最大の人口を持つ大都市ですから、屋台の店だけでなく、売り子も数多くいました。

 てんびん棒を担いで食品を街中に売り歩く売り子のことを、江戸では「振り売り」と呼んでいました。青果、海産物、豆腐、甘酒、ところてん、汁粉など、じつに数十種類の食品を扱っていました。その一つに、ゆで卵がありました。

 その時代の鶏卵は非常に高価です。拙著「玉子は魚介類ではないのになぜ江戸前寿司のネタに使われるのか」にも書きましたが、寿司の高級感を演出するのに卵は最適な食材だったのです。ですから、当然ゆで卵の値段も高かったようです。かけ蕎麦一杯の値段よりも高かったといいますから、現在の金額に換算して一個数百円ほどではなかったでしょうか。

 それでも卵は栄養価が高く、滋養が摂れます。一種の強壮食品と考えられていました。現代でいうと、栄養ドリンクを買うのと同じ感覚ではないでしょうか。多少値段が高くても、疲労回復に効果があります。ゆで卵売りが商売として成り立つほどの需要はあったと考えられます。

 ところで、ゆで卵の殻を剥くときに、おでこにぶつけて卵を割る人がいます。他にいくらでも割る場所がありそうなものですが、なぜわざわざ自分のおでこで割るのでしょうか。その理由は、江戸時代のゆで卵は家で作って食べることが少なく、ゆで卵売りから買って外で食べるものだったからではないでしょうか。

 家の中であれば、お膳でも食卓でも割ることができます。しかし、外で食べるときは、卵を割るところがなかなか見つかりません。最も衛生的と思われるところが自分のおでこです。そのため、おでこで割るのではないでしょうか。家で卵をゆでるようになった現代においても、そうした古い習慣が残っていると考えられます。あくまで個人的な推測ですが。もっとも最近は、おでこで卵を割る人をあまり見かけなくなりました。何だか少し寂しい気もします。

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