「100年先に伝えたい日本の美味しいお惣菜1」は、次の9品を紹介しています。
「肉じゃが」
「きんぴらごぼう」
「だし巻き玉子」
「筑前煮」
「秋刀魚の塩焼き」
「伽羅蕗」
「鯖の味噌煮」
「納豆」
「煮転がし」
「一汁一菜」という言葉があります。ご飯に一品の汁物と一品のおかずを添えることです。最も質素な料理を表す言葉ですが、逆にいうと、どんなに質素であっても、必ず一汁一菜を添えるのが和食の基本です。他にも「二一汁五菜」や「三汁七菜」という表現があり、汁物とおかずが多くなるほど豪勢な食事になります。
そもそも「おかず」は漢字で「御数」と書きますが、女房詞で料理の品数を取り合わせることを意味しています。もちろん単に数が多ければよいというものではなく、料理の種類を考えて偏りなく膳立てしなければなりません。
和食の正式な本膳料理では、膾(なます)と呼ばれる魚肉料理、壺(つぼ)と呼ばれる漆器に盛った煮物料理、猪口(ちょく)と呼ばれる小鉢の酢の物、平皿の盛った菜、焼き物、香の物を調えます。ただし本膳料理は、武家の作法に基づいて江戸時代に発達した格式ある膳立てであり、将軍家や大名などの身分の高い武家が口にする料理です。下級武士や町人はそのような豪華な食事をすることはありませんでした。
では、庶民はどのような食事をしていたのでしょうか。農村部ではまだ米が貴重でしたから、白米を食べる機会は正月や祝賀の日に限られていました。しかし、江戸のような都市部では安定的に米が流通するようになり、白米のご飯を日常的に食べることができました。しかも、てんこ盛りにしたご飯をわずかなおかずでもりもりと食べます。当然、栄養が偏ってビタミンが不足し、江戸では脚気が流行しました。当時はこれを「江戸患い」と呼んでいました。
江戸の食卓を支えたのは、天秤棒を担いで食材を売り歩く「振り売り」でした。江戸前の海で獲れた新鮮な魚介類、近郊で栽培された野菜、豆腐や納豆や油揚げ、豆類や乾物、醤油や味噌や油などの調味料、ありとあらゆる食料品を扱っていました。
江戸の庶民は振り売りから買った食材を使っておかずを作りましたが、それほど手の込んだ料理はしません。簡単に煮たり焼いたりする程度です。おかずはあくまで副菜であり、ご飯の供ですから、少しの量でご飯をたくさん食べられるように、味つけを濃くする傾向がありました。それはまた同時におかずを日持ちさせる目的でもありました。
現代のおかずは、江戸時代に比べると種類が豊富になり、手間を惜しまず時間をかけて美味しく作られます。西洋からも多彩な料理が伝えられて食卓を飾っています。若い人に人気があるハンバーグやオムレツやフライドチキンなどは、江戸時代にはなかった料理です。
一方で、古くから伝承されてきた佃煮やきんぴらはあまり食べられなくなりました。美味しいおかずが日本の食卓から失われてしまうのはたいへん残念なことです。長年にわたって日本で親しまれてきたおかずの美味しさを知ってもらい、次の世代に伝えていくことはとても大切なことです。