その昔、タコはイカでした。
と言っても、生物のタコ(蛸)の話ではありません。
凧揚げのタコ(凧)のことです。
ちなみに「凧」という字は日本で作られた国字です。
「風」と「布」を組み合わせて作られました。
凧が発明されたのは紀元前の中国です。
群雄割拠の春秋戦国時代でした。
諸国で戦が絶えない時代ですから、
凧は軍事目的で作られました。
遠くの味方に情報を伝達する通信手段なので、
より高く飛ぶように設計されました。
日本には平安時代までに伝わっていたようです。
軍事目的ではなく、娯楽のために用いられました。
紙鳶(しえん)、紙老鴟(しろうし)と呼ばれましたが、
「鳶」も「鴟」もトビのことを意味します。
ちなみに英語では凧を「カイト」と呼びますが、
カイトもトビのことですから、発想は同じです。
しかし日本人の目には、空を飛ぶトビの姿ではなく、
海を泳ぐイカの姿に見えたようです。
いつしか凧は「いかのぼり」または「いか」と
呼ばれるようになりました。
江戸時代になると庶民の間で凧が大流行しました。
競技用の「ケンカ凧」も現れました。
ところが、街中に凧が落下する事故が多発して、
大きな社会問題になりました。
怪我人が出たり家屋が損壊したりしました。
ついに死者まで出る騒ぎになりました。
そこで江戸幕府は「いかのぼり禁止令」を発令し、
街中での凧揚げが禁止されてしまいました。
しかし、凧揚げ愛好家はそんなことにはひるみません。
「いか」ではなく「たこ」を揚げていると言い張ります。
それ以来「いか」は「たこ」になりました。
ただし「たこ」という呼び名は主に関東で用いられました。
関西では相変わらず「いか」という呼び名が主流でした。
その違いが表れた江戸時代の俳諧があります。
「凧(たこ)だいて なりですやすや 寝たりけり」一茶
「凧(いかのぼり) きのふの空の ありどころ」蕪村
一茶は十五歳で江戸に出て来ましたから「たこ」派です。
蕪村は摂津生まれの大阪人ですから「いか」派です。
同じものでも呼び名が変わると印象が変わります。
さらに俳風まで変わってくるから不思議です。