江戸っ子の初ガツオ好きは昔から知られていました。
青葉の季節になると待ちきれなくなるようです。
もともと江戸っ子は何でも初物が好きです。
よほど見栄っ張りなのでしょう。
しかし、残念ながらカツオは東京湾では獲れません。
「鎌倉を 生きて出にけん 初鰹」
これは松尾芭蕉の有名な句です。
その頃にはもう初ガツオを尊ぶ風習があったのでしょう。
正確にいうと、鎌倉ではなく逗子にありますが、
小坪漁港は鎌倉時代から有名です。
希代の美食家、北大路魯山人もその価値を認めています。
小坪の浜にわずかに小舟で揚がるカツオが最高だと。
おそらく江戸時代も、朝早く小坪漁港で獲れたカツオを、
陸路で江戸の日本橋の魚河岸まで運んだのでしょう。
鎌倉から日本橋までの距離は約50キロメートル、
小坪漁港からは約55キロメートルです。
途中には、心臓破りの権太坂の難所もあります。
選りすぐりのトップランナーがタスキをつないでも
2時間30分から40分はかかります。
しかもただ走るだけではありません。カツオを運ぶのです。
おそらく5~6時間はかかったのではないでしょうか。
それでも、船に積んで三浦半島をぐるりと周回して
海路で日本橋に運ぶよりは早かったのでしょう。
もしかしたら、初ガツオ専門の健脚の運搬人が請け負って
それこそリレー方式で運んだのかもしれません。
しかし、さわやかな青葉の季節とはいえ、初夏の陽射しを受けます。
日本橋に着く頃には、やや鮮度も落ちていたことでしょう。
もちろん筵(むしろ)を被せて陽が直接当たるのを防いだり
途中で水をかけて冷やしたりしたでしょうが。
魚河岸では威勢のいい魚屋さんが初ガツオを待ち受けています。
さっそく天秤棒を担いで江戸の市中を売り歩きます。
通常は江戸の魚屋さんは朝早くから江戸前の魚介類を売り歩きます。
朝餉の仕度に間に合うようにするためです。
ところが、初ガツオとあってはいささか事情が違います。
昼だろうが夕方だろうが売れ残るわけがありません。
さあさあ、お待ちかねの初ガツオ様でえ。
これを食わなきゃ江戸っ子じゃねえよ。
そんな掛け声が聞こえてきたら、江戸っ子はもうたまりません。
居ても立ってもいられなくなります。
銀色に輝く初ガツオのいなせな縞模様の魚体を見るだけで
狂喜乱舞してしまいます。
おい、魚屋の兄さん。その一番でかいカツオ売ってくれ。
何?銭かい?今から質屋に行くから待ってくれ。
江戸の庶民にとって決して手頃な価格ではありませんが、
無理してでも食べてみたい味だったのでしょう。
初ガツオは江戸っ子にとってお祭りのようなものです。
盆や正月に匹敵する一大イベントなのです。