「100年先に伝えたい日本の美味しい豆腐料理」は、次の10品の豆腐料理を紹介しています。
「湯豆腐」
「麻婆豆腐」
「冷奴」
「味噌田楽」
「飛竜頭」
「豆腐よう」
「揚げ出し豆腐」
「白和え」
「呉汁」
「卯の花」
また、豆腐と名がつくけれど豆腐ではない料理として、次の3品も合わせて紹介しています。
「玉子豆腐」
「杏仁豆腐」
「胡麻豆腐」
豆腐は古くから日本の食卓で親しまれている食材ですが、その製法がいつの時代に日本に伝わったのか詳しいことはわかっていません。一般に庶民が豆腐を食べるようになったのは、近世以降のことです。貨幣経済が発達して大豆が安定的に流通してくると、豆腐の製造を専門に扱う「豆腐屋さん」が現われて急速に豆腐が普及していきました。
江戸時代になると、天秤棒を担いだ「振り売り」が豆腐を市中に売り歩くようになりました。とくに当時、人口が急増して一大消費地に成長した江戸では、多種多様な食料が振り売りによって供給されていましたが、その中でも安価で美味しい豆腐は、庶民が日常的に食べる食材として高い人気を得ていました。
もちろん江戸だけでなく、大阪でも豆腐は人気の食材でした。天明年間に大阪で刊行された「豆腐百珍」という料理の本には、文字通り、百種類の豆腐料理が紹介されています。それをよると、現在知られている豆腐料理のほとんどは、すでに江戸時代までに完成していることがうかがえます。ちなみに「豆腐百珍」は大評判となり、翌年には続篇が刊行されています。
昭和の美食家だった北大路魯山人は、美味しい豆腐を求めるならば京都であると述べています。その理由は「京都は古来水明で名高いところだけに、良水が豊富なため、いい豆腐ができる」からです。たしかに豆腐は、大豆と水から作られます。美味しい水がなければ美味しい豆腐ができないのは当然かもしれません。
大豆を水に浸けて擦りつぶしたものを「呉」といいます。それを加熱して搾った豆乳に「にがり」を加えて固めたものが豆腐です。そういうと簡単に聞こえますが、美味しい豆腐を作る老舗の店には独自の製法があり、秘伝の技があります。
豆腐が何よりも美味しいのは作りたてです。昔の豆腐屋さんは、毎日作りたての豆腐をお店で売るだけでなく、自転車やリヤカーに乗せて売り歩いていました。あの独特の二音階のラッパの音は、誰が聴いても「トーフー」と聞こえます。それを聞きつけて、お客が鍋を持って豆腐を買いに来ます。豆腐屋さんは、形が崩れないように水の中に泳がせておいた豆腐をすくい出して鍋に入れてくれます。
現在は、密閉された容器で豆腐が売られているので、鍋を持って買いに来るお客はいません。ラッパを吹き鳴らして売り歩く豆腐屋さんも見かけなくなりました。どことなく郷愁を帯びたラッパの音は、今では懐かしく感じられますが、豆腐が美味しい食材であることは昔も今も変わりません。