動物を主人公にした物語はたくさんありますが、人間を動物の完全な敵対者に描いた物語としてよく知られているのが、「バンビ」です。オーストリアの作家、フェーリクス・ザルテンの原作に基づいて、1942年にウォルト・ディズニーがアニメーション映画を製作しました。
バンビは、甘えん坊で恥ずかしがり屋の子ジカですが、優しい母の愛に守られてすくすくと成長します。森の動物たちとも仲よしになり、幸せに暮らしていましたが、あるとき、人間の狩人が森にやってきて母が撃たれてしまいます。悲しみに沈むバンビの前に現れたのはバンビの父です。森にすむ全ての動物たちに尊敬されている「森の王」です。バンビは父の下で強く賢く成長して、やがて王位を継承します。
「バンビ」には、四季を通して移り変わる森の豊かな自然と、そこに暮らす動物たちの姿が美しく描かれています。しかし人間は凶悪な存在として描かれています。森の動物たちを脅かす侵入者に過ぎません。自然環境を守り、生態系を保全し、生物多様性を維持していくことの大切さを「バンビ」は私たちに訴えています。今から八十年以上も前に発表された作品であることを考えると、その先駆性には驚かされます。「バンビ」が不朽の名作である所以です。
日本では戦後になってから「バンビ」が公開されましたが、ちょうど同じ時期に、椋鳩十の短編物語「片耳の大シカ」が発表されました。「バンビ」が動物と人間の対立をテーマにしているのとは対照的に、「片耳の大シカ」は動物と人間の共存をテーマにしています。互いに相手を排除するのではなく、ともに生きる道を探る感動的な物語です。
舞台となっているのは、鹿児島県の屋久島です。人間が足を踏み入れたことのない深い森の奥にシカの群れがすんでいます。その群れを率いるのが片耳の大シカです。片耳しかないのは、かつて狩人に銃で耳を撃たれたからです。人間であれば積年の恨みを持つことでしょう。しかし、片耳の大シカはじつに気高く強靭な動物です。人間に対する恨みも憎しみもなく、つねに純粋に誇り高く生きています。まるで「バンビ」に登場する「森の王」を彷彿させます。
人間には人間の叡智があるように、動物には動物の叡智があります。ときにそれは人間の叡智をはるかに凌ぐこともあります。その素晴らしさを描いてみたいと考えて、「ぶなの森の白狐」という物語を創作しました。
ぶなの森にすむ白狐は、ぶなの木の精の声を聞くことができる不思議な能力を持っています。ぶなの木の精は、ぶなの森にすむ全ての動物たちにとって大切な守り神です。白狐はぶなの木の精のお告げを皆に伝える役目を担っています。
ぶなの森のモデルとなったのは、青森県と秋田県にまたがる白神山地です。広大なぶなの原生林が山を覆い、無数の生きものたちがそこに息づいています。実際に、白神山地に白狐は生息していませんが、古くから神の使いとされてきた白狐には、神秘的な雰囲気があります。ぶなの木の精の御神託を受けるには最適な動物です。
「ぶなの森の白狐」は、「バンビ」とも「片耳の大シカ」とも異なる物語ですが、森と動物たちを守る聖なる存在が活躍する点は共通しています。さて、どのような活躍をするのでしょうか。ぜひご一読ください。