日本にコーヒーが伝わったのは江戸時代のことです。
オランダから長崎の出島にもたらされました。
出島に居住するオランダ人のために持ち込まれましたが、
一部の日本人もコーヒーを飲んでいたようです。
しかし、日本人で初めてコーヒーを飲んだ人物は誰なのか、
明確な記録は残っていません。
ちなみにコーヒーを漢字で「珈琲」と表記したのは、
「珈」は女性が髪に刺す「かんざし」のことであり、
「琲」は真珠に糸を通した玉飾りのことです。
コーヒーの木に実る真っ赤なコーヒーの実が、
まるで髪飾りのように美しいことに由来します。
なかなか感性のある表現ですが、榕菴自身がコーヒーを
飲んだことがあるかどうかわかっていません。
シーボルトと親交が深かったと伝えられていますから、
もしかしたらご馳走になっていたかもしれません。
また榕菴は、酸素、水素、炭素などの数々の科学の用語を
オランダ語から翻訳しました。
コーヒーも科学的な物質と見なしていた可能性があります。
少なくとも医薬品と認識していたようです。
当時の多くの日本人にとっても、コーヒーは嗜好品ではなく、
医薬品と考えられていました。
その理由は、コーヒーが貴重品だったこともありますが、
あまり日本人の嗜好に合わなかったからです。
すでに日本には茶の文化が広く浸透していたので、
コーヒーの風味は理解され難かったのでしょう。
初めて本格的な美味しいコーヒーを飲んだ日本人は、
おそらく幕末の徳川昭武公ではないでしょうか。
最後の水戸藩主を務めた人物です。
幕府の欧州使節団としてフランスに渡り、
パリ万博も訪問しています。
ヨーロッパ滞在中の様子を日記に記していますが、
何度もコーヒーを飲んだという記述があります。
ちなみに日記にはココアを飲んだという記述もあり、
日本人で初めてココアを飲んだ人物でもあります。
パリでコーヒーを味わっています。
コーヒーのことを「カッフヘエー」と記しています。
渋沢栄一の耳にはそう聞こえたのでしょう。
昭武公と同様に、初めて本格的な美味しいコーヒーを
飲んだ日本人の一人と言えます。
ところで、昭武公の祖先である第2代水戸藩主は、
水戸の黄門様として知られる徳川光圀公です。
じつは、日本人で初めてラーメンを食べた人物であり、
日本人で初めてギョーザを食べた人物でもあります。
好奇心が旺盛で、目新しいものを好む気質は、
水戸徳川家の血統なのかもしれません。