おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

節分の豆はどのように作るのか

昔から節分の豆まきに使われる豆は煎り大豆です。

 

まかれた豆を数え歳だけ食べると無病息災で一年を過ごせると

子どもの頃に教わりました。

 

私のような古い世代の人にとって、豆まきの豆は縁起物ですから

床にまかれた豆を拾って食べることに全く抵抗感はありません。

 

しかし、若い世代の人は必ずしもそうではありません。

 

近年では、衛生上の観点から殻付きの落花生を用いたり

小分けに袋詰めされた菓子豆などが使われています。

 

また、食べものを粗末に扱わない風潮も高まりつつあり、

掛け声と動作だけの「エア豆まき」もあるそうです。

 

節分が近づくと、豆まき用の煎り大豆が店頭に並びますが、

立春が過ぎるといつの間にか姿を消してしまいます。

 

煎り大豆は節分以外に食べられないのでしょうか。

決してそのようなことはありません。

 

煎り大豆は簡単に手作りすることができます。

一晩水に浸けた大豆をフライパンで炒るだけです。

 

まずは、水に浸けた大豆の水気をよく取ります。

フライパンを熱して大豆を炒ります。

 

パチパチと音がしたきたら弱火にします。

カリッと炒り上げれば出来上がりです。

 

じつは豆を炒るにはフライパンより焙烙が向いています。

焙烙とは薄型の素焼きの土鍋のことです。

 

金属のフライパンのように熱伝導は高くありませんが、

その代り保温性に優れ、むらなく熱が伝わります。

 

把手が付いている焙烙と付いていない焙烙がありますが、

把手がある方が揺り動かすのに便利です。

 

煎り大豆以外にも銀杏や胡麻を炒るのに用いられます。

茶葉を焙じて焙じ茶を作ることもできます。

 

把手がないものは鍋として焙烙料理に用いたり

頭に被ってお灸を据えるのに使います。

 

焙烙で炒った煎り大豆は香ばしくて美味しいです。

おそらく鬼も絶賛すると思います。

 

五目豆の五目とは何か

私はよく五目豆を作ります。

大豆と根菜類を煮た料理です。

 

決して華やかな主菜ではありませんが、

穏やかで素朴な味わいが魅力です。

 

食卓にあるとなぜかほっとする副菜です。

お弁当のおかずにも重宝します。

 

ところで五目豆の五目とは何でしょうか。

 

五目とは五品目のことを意味しますが、

必ず五つというわけではありません。

 

材料の数が多いことを表す言葉ですから

六品目でも七品目でも構いません。

 

五目御飯、五目そば、五目寿司などもそうです。

具沢山の料理はたいてい五目と呼ばれます。

 

では、五目豆には何を使うのでしょうか。

 

地域や家庭によって材料はさまざまですが、

言うまでもなく、大豆は必ず入ります。

 

昆布、椎茸、人参、牛蒡、蒟蒻は定番です。

蓮根、筍が入ることもあります。

 

大豆は前の晩から水に浸しておきます。

 

このとき昆布と干し椎茸も一緒に入れます。

美味しい出汁が取れるからです。

 

大豆がたっぷり水を吸ったら昆布と干し椎茸を取り出します。

鍋を火にかけて弱火でことこと大豆を煮ます。

 

干し椎茸、人参、牛蒡、蒟蒻を小さく切って鍋に入れます。

昆布は煮崩れしないように最後に入れます。

 

アクを取りながら醤油、砂糖、味醂、日本酒で味を調えます。

大豆が柔らかく煮えたら出来上がりです。

 

熱々も美味しいのですが、しばらく置いて味を馴染ませます。

その方がしみじみとした優しさが感じられます。

 

 

いかにんじんと松前漬けはどちらが先か

私の故郷の福島には「いかにんじん」という郷土料理があります。

細く切ったスルメイカとニンジンを醤油で和えた料理です。

 

北海道の「松前漬け」の作り方にたいへんよく似ています。

昆布の代わりにニンジンを使った松前漬けと言えます。

 

昆布のぬめりはありませんが、ニンジンのシャキシャキ感が楽しめます。

福島ではお正月のおせち料理にも重宝されています。

 

拙著「四季の菜摘み」にも書きましたが、いかにんじんと松前漬けは

じつは深い歴史的なつながりを持っています。

 

江戸時代のことですが、松前藩の第9代藩主であった松前章広公が、

現在の福島県伊達市にあたる伊達郡梁川藩に移封されました。

 

そのとき松前漬けが当地に伝えられたと考えられています。

 

ところが、梁川藩ではほとんど昆布を手に入れることができません。

松前藩の昆布は日本海を経由して主に京阪地方に運ばれるからです。

 

昔から京料理に昆布を使った逸品が多いのはそのためです。

東日本の食文化には昆布がほとんど定着しませんでした。

 

スルメイカがあっても昆布がなくては松前漬けを作ることができません。

そこで、昆布の代わりにニンジンが使われたのではないでしょうか。

 

東洋系の長ニンジンは江戸時代初期までには日本に伝わっています。

江戸時代後期には各地で栽培されていました。

 

いかにんじんの発案者は、おそらく松前藩から随行した料理人でしょう。

非凡な料理の才能があったと思います。

 

昆布の代わりにニンジンを使って松前漬けを作ったというよりは、

スルメイカとニンジンの全く新しい美味しさの創出です。

 

松前漬けに匹敵する見事な料理です。

 

しかし、両者の関係には全く正反対の説もあります。

いかにんじんが松前漬けの原型だという説です。

 

その説によると。松前章広公が梁川藩に赴任する以前から、

すでに当地にはいかにんじんという料理があったそうです。

 

松前章広公は十数年の赴任の後、松前藩に復することになりましたが

そのとき、いかにんじんを松前藩に伝えたとも言われています。

 

ところが、現在でこそ北海道はニンジンの一大生産地ですが、

当時は寒冷地であまりニンジンを栽培していませんでした。

 

松前藩ではニンジンの入手が難しかったのではないでしょうか。

そのため名産品の昆布が代用されたと考えられます。

 

そのようにして誕生したのが松前漬けです。

 

いかにんじんと松前漬けは、どちらが先か判明していませんが、

歴史的なつながりがあることは事実です。

 

甲乙つけ難い姉妹料理と言えます。

 

私は両者を融合した料理をよく作ります。

名づけて「松前にんじん」です。

 

ニンジンを入れた松前漬けとも言えますし、

昆布を入れたいかにんじんとも言えます。

 

両者の美味しさが相俟って箸が止まりません。

ぜひお試しください。

 

なぜ三日月形のクロワッサンと三日月形でないクロワッサンがあるのか

クロワッサンとはフランス語で三日月のことです。

当然クロワッサンは三日月形をしています。

 

ところが三日月形をしていないクロワッサンもあります。

角が真っ直ぐに伸びたクロワッサンです。

 

どうして形が違うのでしょうか。

 

クロワッサンには2種類の異なる油脂が使われています。

外見でそれがわかるように工夫されているそうです。

 

三日月形は、マーガリンを使用したクロワッサンです。

真っ直ぐな形は、バターを使用したクロワッサンです。

 

フランスでは伝統的にそう決まっているそうですが、

店や地域によって多少の違いがあるようです。

 

クロワッサンの種類によっても異なっています。

たとえばパン・オ・ショコラがそうです。

 

チョコレートを包み込んだクロワッサンですが、

三日月形ではなく筒状の四角形をしています。

 

また、切り込みを入れてサンドイッチを作りには、

真っ直ぐな形の方が便利です。

 

じつは、フランスでは三日月形よりも真っ直ぐな形が多いそうです。

マーガリンよりもバターの方が好まれているのかもしれません。

 

食材の歴史からいうと、バターの方がマーガリンよりも先輩です。

初期のクロワッサンには、バターが用いられていたはずです。

 

しかし、先に活躍していたバターが三日月形ならわかりますが、

なぜか後から登場したマーガリンが三日月形です。

 

それは一体なぜでしょうか。

 

マーガリンは、19世紀にフランスで誕生しました。

高価なバターの代用品として考案されました。

 

一説にはナポレオン3世が作らせたとも言われています。

当時は軍用食材の需要が高まっている時代でした。

 

マーガリンが商品化されて、急速に普及するようになると、

さまざまな調理の場面でバターと競うようになりました。

 

クロワッサンにもバターに代わって使われるようになります。

おかげでクロワッサンの低価格化に大きく寄与します。

 

大衆的に安定供給されるのは消費者としては喜ばしいことですが、

もともとクロワッサンは高級なパンです。

 

熟練したパン職人の高度な技能とバターの豊かな風味によって

サクサクしたクロワッサンが生み出されます。

 

やはりフランス人は、王道のクロワッサンを愛しています。

たとえ三日月形でなくとも、本物の味を求めています。

 

そのため、潔くマーガリンのクロワッサンに三日月形を譲り、

バターのクロワッサンは新しい形に生まれ変わりました。

 

それが真っ直ぐな形のクロワッサンです。

 

バターを使って焼き上げた真っ直ぐな形のクロワッサンには、

食に対するフランス人の真っ直ぐな心が感じられます。

 

クロワッサンはどのように誕生したのか

フランス生まれのクロワッサンはフランス人にこよなく愛されています。

クロワッサンとカフェオレの組み合わせはフランスの朝食の定番です。

 

サクサクとした食感は、クロワッサンの大きな魅力です。

バターをパン生地に塗り込んで焼くことで生まれます。

 

パン生地を伸ばしてバターを均一に挟み込んで折りたたみます。

その作業を繰り返すことで多重の薄い層ができるのです。

 

標準的な折りたたみ方をすると3×3×3の27層になるそうです。

 

クロワッサンはフランス語で「三日月」という意味ですが、

広義では「上弦の月」のことを指します。

 

「成長する」という意味の動詞「クロワートル」の派生語です。

満月に成長しつつある状態を示しています。

 

では、どうしてクロワッサンと名づけられたのでしょうか。

 

クロワッサンの語源については、いくつかの説があります。

オスマン帝国の国旗に由来するという説が有力です。

 

1683年、オスマン帝国軍オーストリアを攻撃しました。

首都ウィーンは大軍によって包囲されてしまいました。

 

しかしヨーロッパ各地から続々と援軍がウィーンに駆けつけます。

激戦の末、ついにオーストリアが戦いに勝利しました。

 

その勝利を祝って作られたのが、小さな三日月形のパンです。

オスマン帝国の国旗に描かれた三日月を型取っています。

 

「敵を食う」という意味だったのかもしれません。

 

それ以来、三日月形のパンが広まったと伝えられていますが、

現在のクロワッサンとは異なるものとも言われています。

 

そもそもオスマン帝国の国旗に描かれた三日月の向きは、

上弦の月ではなく、下弦の月のように見えます。

 

フランス語で言うならば、「クロワッサン」ではなく、

「デルニエール・カルティエ」と呼ぶべきです。

 

もちろん、それは私の個人的な意見に過ぎません。

一般にクロワッサンはオスマン帝国の月を指します。

 

宗教的に重要なシンボルと考えられ、現在のトルコを始めとして

多くのイスラム教の国旗に受け継がれています。

 

ところで、クロワッサンの誕生にはもう一つ別の説があります。

マリー・アントワネットがフランスに製法を伝えたという説です。

 

マリー・アントワネットオーストリアの出身です。

ルイ16世と結婚してフランス王妃となりました。

 

そのとき多くの宮廷料理人を本国から連れてきたと言われています。

いずれもヨーロッパ最高級の料理人ばかりです。

 

パンを担当したのは、当時最も人気の高かったデンマークの職人でした。

そのためデニッシュペストリーの生地がフランスに伝えられました。

 

それがクロワッサンの原型であるとも言われています。

 

デンマークは酪農の国ですから、バターなどの乳製品が豊富です。

バターをたっぷり使ったデニッシュペストリーは昔からの伝統です。

 

ところで、「デニッシュ」とは「デンマーク風の」という意味です。

デンマークではもちろんデニッシュペストリーとは呼びません。

 

香川県でうどんのことを「讃岐うどん」と呼ばないのと同じです。

言わなくても讃岐うどんに決まっているからです。

 

では、デンマークではデニッシュペストリーを何と呼ぶのでしょうか。

 

じつは「ヴィナーボズ」という名称で呼ばれているそうですが、

面白いことに、これは「ウィーン風のパン」という意味です。

 

どうやらデンマークでは、デニッシュペストリーの生地は、

オーストリアが発祥と考えられているようです。

 

そうなるとクロワッサンの誕生がますます謎に包まれてしまいます。

 

なぜ芋煮会が行われる地域は限られるのか

秋の楽しい伝統行事の一つに「芋煮会」があります。

山形県宮城県などで盛んに行われています。

 

河川敷に集まって、大きな鍋で里芋を料理する行事です。

他の食材も一緒に煮込んだ「芋煮鍋」を作ります。

 

地域によって使われる食材や味つけが異なりますが、

共通しているのは、必ず里芋が入ることです。

 

芋煮会は十月下旬から十一月初旬にかけて行われますが、

それは里芋の収穫時期と重なるからです。

 

いわば里芋の収穫を祝う秋の感謝祭でもあります。

秋の一日をみんなで楽しく美味しく過ごします。

 

まもなくやって来る厳しい冬を乗り越えるために

地域の人々の結束を強める機会でもあるのです。

 

秋の芋煮会は、春のお花見と並ぶ季節の風物詩です。

 

しかし、春のお花見がほぼ全国的に行われるのに対して

秋の芋煮会が行われる地域は限られています。

 

主に山形県宮城県を中心とする東北地方です。

それはなぜでしょうか。

 

どうやらその理由は、里芋の保存方法にあるようです。

 

一般に、芋類は低温障害を起こしやすいのですが、

とくに里芋は寒さに弱い作物です。

 

現在は温度と湿度を管理できるハイテク貯蔵庫もありますが、

越冬貯蔵するためには、低温を避けなければなりません。

 

そのため昔は泥付きのまま風通しのよい場所に保存していました。

あるいは、もみ殻を被せて地中に埋めていました。

 

それでも貯蔵しきれない里芋は、寒い冬を前にして消費されます。

それが、芋煮会の原型を生んだのではないかと考えられています。

 

ですから、里芋の保存がさほど難しくない温暖な地域では、

芋煮会の習慣がありません。

 

また、かつて里芋栽培の北限を超えていた寒冷な地域でも、

やはり芋煮会の習慣がありません。

 

芋煮会が行われる地域が限られるのは理に適ったことなのです。

 

ソウルフードはなぜ魂を揺さぶるのか

ソウルフードは、奴隷制の時代にアメリカで生まれました。

アフリカからやって来た人々の伝統料理のことを指します。

 

ケイジャン料理は代表的なソウルフードです。

主にルイジアナ州で愛されています。

 

地元の食材を使った庶民的で質素な料理ですが、

玉ネギ、ピーマン、セロリは欠かせません。

 

これらを「聖なる三位一体」と呼ぶそうです。

ほぼすべてのケイジャン料理に使われています。

 

ジャンバラヤケイジャン料理を代表する一品です。

香辛料を効かせた炊き込みご飯です。

 

かつてルイジアナ州はスペインに統治されていましたので、

スペイン料理のパエリアが原型ではないかと考えられています。

 

ガンボもケイジャン料理のスープとして知られています。

オクラを煮込んでとろみをつけるのが特徴です。

 

ちなみにオクラはアフリカ原産の野菜です。

アフリカからルイジアナ州に伝わったのでしょう。

 

ガンボは野菜と一緒に地元で獲れる魚介類を使います。

カエルやザリガニやワニを使うこともあるそうです。

 

もちろん「聖なる三位一体」も使われます。

旨みが渾然一体となったスープです。

 

クレオール料理もケイジャン料理と並んで有名です。

やはりルイジアナ州の伝統料理です。

 

ケイジャン料理が庶民的で質素であるのに対して、

クレオール料理は都会的で洗練されています。

 

多様な食文化の影響を受けているのがクレオール料理の特徴です。

ニューオーリンズを中心に親しまれています。

 

しかし、食材や調理方法などケイジャン料理と類似点が多く、

ともにソウルフードであることは変わりません。

 

ソウルフードは単に美味しいだけではありません。

その土地に住む人々が誇りに感じている料理です。

 

郷土への愛情と先人への敬意が美味しさに表れています。

故郷を離れた人々にとっては忘れがたい味わいです。

 

ソウルフードは、まさに魂を揺さぶる料理なのです。

 

ソウルフードという言葉は、現在ではさらに広い意味で使われます。

ある民族や国民にとって欠かすことのできない料理のことです。

 

たとえばイタリア人にとってのパスタ、ドイツ人にとってのソーセージ、

日本人にとっての白米と味噌汁はソウルフードと言えそうです。

 

いずれも、魂を揺さぶる料理です。