おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

おむすびとおにぎり

太宰治の小説「斜陽」に、おむすびの話が出てきます。

 

おむすびがどうして美味しいか知っていますか。

それは、人間の指で握りしめて作るからですよ。

 

作中の登場人物がそう説明しています。

たしかにその通りだと思います。

 

群ようこの小説「かもめ食堂」には、おにぎりの話が出てきます。

 

ヘルシンキで食堂を開いた主人公の女性は、家庭料理が得意です。

心を込めて作ったおにぎりを食べてもらうのが夢です。

 

ところが、ヘルシンキの人々はなかなかおにぎりを注文しません。

見たことのない食べものに抵抗感があるようです。

 

おむすびやおにぎりは、古くから日本人に親しまれています。

日本人のソウルフードと言えるかもしれません。

 

米を主食とする国や地域は、アジアを中心にたくさんありますが、

必ずしもおむすびやおにぎりが作られるわけではありません。

 

世界で生産されている米の8割以上がインディカ米だからです。

ジャポニカ米のような粘り気がないので向いていないのです。

 

ご飯の中に具を入れて握り、海苔で包むような作り方は、

おそらく日本だけではないでしょうか。

 

最近では、新しい具が次々と考案されて種類が多くなりましたが、

梅干しや塩鮭などの定番も、相変わらず人気があります。

 

ところで、おむすびとおにぎりは違うものなのでしょうか。

じつは呼び名が異なるだけで、両者は同じものです。

 

昔は地域差があり、主に東日本ではおにぎりと呼ばれ、

西日本ではおむすびと呼ばれたと言われています。

 

現在では、ほとんど地域差がなくなってきていますが、

九州、沖縄地方では「にぎりめし」が優勢だそうです。

 

形状の違いによって呼び名が違うという説もあります。

丸い形がおにぎり、三角形がおむすびという説です。

 

しかし、必ずしもそうとは限りません。逆のケースもあります。

たとえば「おむすびころりん」の民話に出てくるおむすびです。

 

三角形のおむすびではうまく転がることができません。

ころころ転がるには丸い形でなくてはなりません。

 

おむすびの語源は、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)に由来します。

万物の生成と生産を司る創造の神様です。

 

この神様に捧げられたおむすびが山型だったと考えられます。

神様が山に宿るという信仰によるものでしょうか。

 

おそらく心を込めて握ったのではないでしょうか。

おむすびが美味しい理由がよくわかります。

 

それは、人の手によって握られるからです。

 

具材を包み込む美味しさと優しさ

餃子や焼売や春巻や小籠包に共通することは何でしょうか。

それは具材を小麦粉の皮で包み込む料理だということです。

 

一口食べると中から素材の旨みが溢れ出てきます。

美味しさを逃がさない理に適った料理法です。

 

小麦粉の皮で包み込む料理は中華料理ばかりではありません。

イタリアには、パスタ生地で挟むラヴィオリがあります。

 

東欧諸国には、ピエロギと呼ばれる餃子に似た料理があります。

挽き肉、チーズ、ジャガイモ、キノコなどを詰めて作ります。

 

トルコや中央アジアには、マンティという料理があります。

やはり小麦粉の皮にさまざまな具材を詰めて作ります。

 

東アジアのマントウやマンドゥに名前がよく似ています。

おそらく同じルーツであると考えられます。

 

もちろん日本の饅頭も語源は同じです。

臨済宗の僧によって日本に伝えられました。

 

具材を包み込む料理はなぜ世界中に広まったのでしょうか。

料理方法として優れているという理由はたしかにあります。

 

美味しいからという理由ももちろんあります。

でもそれだけではありません。

 

一つ一つが愛情を込めて包み込まれるからです。

作ってくれる人の優しさが伝わる料理だからです。

 

それが世界中で愛されている理由だと思います。

 

なぜ餃子にニンニクを入れるのか

日本で餃子と言えば、ほとんどが焼き餃子ですが、

本場中国の餃子は、水餃子が主流だそうです。

 

また、日本の餃子にはよくニンニクが使われていますが、

中国の餃子には必ずしも使われるわけではありません。

 

なぜ日本の餃子にニンニクが入るようになったのでしょうか。

それは、餃子が日本で普及した経緯と関係があるようです。

 

餃子が日本に伝わったのは江戸時代のことですが、

すぐに国内に広まったわけではありません。

 

一般的な惣菜として日本人が餃子を食べるようになったのは、

昭和二十年代以降のことです。

 

終戦後、中国の華北地方や満州から引き揚げてきた復員兵たちが

餃子の作り方を伝えたそうです。

 

そのため他の中華料理と違って、餃子には地域差があります。

たとえば宇都宮や浜松は餃子の街として知られています。

 

毎年「餃子日本一」の名誉をかけて消費量を競い合う両雄ですが、

いずれも、復員兵から伝授された味を受け継ぐ店が多くあります。

 

ところで、なぜ餃子にニンニクを入れるようになったのでしょうか。

 

それは、満州では豚が成育しにくいということに理由があります。

満州では、豚肉よりも羊肉の方がよく食べられていたそうです。

 

もちろん、餃子に使われる挽き肉も例外ではありません。

満州では、豚肉ではなく羊肉が使われていたそうです。

 

しかし豚肉に比べると、羊肉には独特の臭みがあります。

それを取り除くためにニンニクは欠かせません。

 

そのため、満州から日本に餃子の製法が伝わったときには、

すでにニンニクを使うようになっていたと考えられます。

 

日本では主に豚肉を使って餃子を作るようになりましたが、

ニンニクを使う習慣はそのまま残りました。

 

ニンニクは豚肉とも相性がよく、餃子の味を引き立てます。

餃子とニンニクは切っても切れない関係になっています。

 

日本人で初めて餃子を食べた人物は誰か

餃子が日本に伝わったのは江戸時代と考えられています。

明から来日にした朱舜水が伝えたといわれています。

 

朱舜水は偉大な儒学者であり、日本でも名が知られていました。

手厚く迎えたのは、水戸の徳川光圀公です。

 

水戸の黄門様として有名な水戸徳川家の第二代藩主です。

深く朱舜水を敬愛していたそうです。

 

丁重に招かれた朱舜水は、儒学とともに明の食文化も伝えました。

その一つに餃子という料理があったようです。

 

そのため、最初に餃子を食べた日本人は、徳川光圀公だったそうです。

ただし、助さんと格さんが一緒に食べたかどうかわかっていません。

 

豚の挽き肉が簡単に調達できない時代のことですから、

餃子を作るのもたいへんなことだったと思います。

 

何よりも当時は獣肉を食べることが禁忌とされていました。

本当に徳川光圀公は餃子を召し上がったのでしょうか。

 

じつは徳川光圀公は、好奇心の強い御仁だったそうです。

特に南蛮渡来の食品に興味を持っていたといいます。

 

チーズやワインも好んでいたと伝えられています。

さらに食肉に対する深い理解もありました。

 

生類憐みの令のご時世にあっても、食肉を意に介しません。

牛肉や豚肉や羊肉を平然と食べていたそうです。

 

ですから喜んで餃子を召し上がったことでしょう。

 

ちなみに、生類憐みの令を発した五代将軍徳川綱吉公は、

徳川光圀公の従兄に当たります。

 

宗家に対する水戸家の対抗意識があったのかもしれません。

 

ところで、朱舜水徳川光圀公に中華麵も献上しました。

そしてラーメンの作り方も伝授しました。

 

徳川光圀公は朱舜水を介して長崎から干した豚肉を取り寄せました。

その豚肉を使ってラーメンのスープの出汁を取ったそうです。

 

最初にラーメンを食べた日本人も、徳川光圀公だったかもしれません。

ただし、助さんと格さんが一緒に食べたかどうかわかっていません。

 

水餃子はパスタ料理か

中国の食文化圏を大別すると、二つの地域に分けることができます。

小麦を中心とした華北地方と、米を中心とした華中、華南地方です。

 

寒冷な華北地方では、今でこそ稲作が広く普及していますが、

昔は米がほとんど収穫されず、小麦の栽培が盛んでした。

 

餃子は、小麦粉の皮で作られますから、小麦の食文化圏に属します。

紀元前に華北地方で誕生したと考えられています。

 

現在でも餃子は華北地方、とくに北京料理の一つと見なされています。

しかし北京に限らず、中国の広い地域で食べられています。

 

日本では、餃子といえば「焼き餃子」が圧倒的に多いのですが、

本場の中国では、「水餃子」が主流だそうです。

 

また、日本の餃子のようにご飯のおかずとして食べることはなく、

餃子そのものが主食になっています。

 

餃子は一品だけで十分なメインディッシュになります。

まるでイタリアのパスタ料理に匹敵します。

 

水餃子というと、日本ではいわゆる「スープ餃子」を指しますが、

中国では、茹でた餃子のことを意味します。

 

水餃子は「水餃」、スープ餃子は「湯餃」と呼ぶそうです。

何と発音するかわかりませんが。

 

たっぷりのお湯で茹で上げてから、すくって湯切りして食べるので、

水餃子というよりは、「茹で餃子」に近いかもしれません。

 

茹でるときに皮が破れないように、やや厚めの皮を使います。

焼き餃子の皮のように薄くありません。

 

そのため食べ応えがあり、一品で十分にお腹を満たしてくれます。

まるでラビオリやニョッキやミネストローネのようです。

 

やはり水餃子は、イタリアのパスタ料理に匹敵します。

 

ニョッキはなぜ木曜日に食べるのか

ニョッキは、ジャガイモと小麦粉を練った団子状のパスタです。

茹でたジャガイモをつぶして小麦粉を混ぜて練り合わせます。

 

小さく丸めるときに中心をくぼませた貝殻状にします。

その方がソースによくからむからです。

 

形が不均一なのはご愛敬です。

 

イタリアにはこういうことわざがあります。

「誰でも自分の練り粉でニョッキを作れる。」

 

下手は下手なりに自分のやり方があるという意味です。

 

ニョッキは定番のクリームソースやトマトソースの他にも

ジェノベーゼソースやゴルゴンゾーラソースが合います。

 

イタリアで愛されている家庭料理の一つです。

 

イタリアでは、木曜日にはニョッキを食べるといわれています。

それは一体なぜでしょうか。

 

かつては曜日ごとに決まった料理を食べる伝統がありました。

現代でもその習慣が残っている地域があります。

 

じつは、木曜日のニョッキの後にも続きがあります。

金曜日には魚、土曜日にはトリッパと定まっています。

 

金曜日はキリストの受難の日とされています。

そのため鳥獣の肉は食べません。

 

質素な魚料理を食べる習慣があるのですが、

魚ならば何でもよいわけではありません。

 

主に、塩漬けにして干したタラを食べます。

イタリア語でバッカラと呼ばれています。

 

宗教的な意味を持つ料理ですからご馳走ではありません。

むしろ、どちらかというと粗食です。

 

金曜日の粗食に備えて、木曜日にはニョッキを食べます。

美味しいニョッキをたくさん食べて金曜日を迎えます。

 

ニョッキは滋養があり、腹持ちのよい料理です。

何とか土曜日まで耐えることができます。

 

その代わり、土曜日にはご馳走を食べます。

イタリア人の大好物のトリッパです。

 

トリッパとは、ウシの二番目の胃袋のことです。

その形状から日本語でハチノスと呼ばれます。

 

日本では、焼き肉やモツ鍋などに使われますが、

イタリアでトリッパといえば、煮込み料理です。

 

ローマ風トリッパはトマトソースで煮込みます。

ミラノ風トリッパは赤ワインで煮込みます。

 

もしかしたら土曜日に美味しいトリッパを食べるために

金曜日の粗食の習慣を堅持しているのかもしれません。

 

ところで、木金土以外には何を食べているのでしょうか。

 

日曜日はラザニア、月曜日はミネストローネ、

火曜日はミートボールスープが多いそうです。

 

水曜日は、残りものを食べてニョッキを楽しみに待ちます。

イタリア人は本当にトリッパとニョッキが好きなようです。

 

ラザニアとラビオリはどちらが先輩か

ラザニアの語源は、古代ローマのラガヌムという料理です。

たいへん古い歴史を持つ料理と考えられます。

 

ただし、料理方法は現代のラザニアとは異なっていました。

野菜汁と香辛料で小麦粉を練って油で揚げていたようです。

 

後には、何層かの生地に肉をはさんで焼くようになりました。

今日のパイのような料理だったとも推定されます。

 

ラザニアがイタリアの文献に登場するのは14世紀です。

乾燥パスタではなく、発酵した生パスタでした。

 

指三本分ほどを一辺とした四角形のパスタ生地に分けたと

文献には記されています。

 

形状から判断すると、ラビオリではないかと思われますが、

ラビオリのように具を包む料理ではなかったようです。

 

茹でたパスタを器に盛って、卸したチーズをかけます。

その上にさらにパスタを乗せてチーズをかけます。

 

それを何層も重ねて食べていたようです。

現在のラザニアにやや近い料理です。

 

この時代のイタリアには、まだトマトが伝わっていません。

一般にトマトが料理に使われるのは16世紀以降のことです。

 

ですからトマトソースのパスタはまだ登場していません。

パスタはたいていチーズと香辛料で食べられていました。

 

やがて、重ねるパスタから包むパスタが現れます。

ラザニアを小型化したものがラビオリです。

 

料理の幅が広がったことから、ラザニアと同様に、

あるいはラザニア以上にもてはやされます。

 

ラザニアの方がラビオリの先輩ではありますが、

活躍する場はラビオリの方が多かったようです。

 

中世の料理の書物にもラビオリが紹介されていますが、

贅沢な食材をふんだんに使った料理も載っています。

 

ただし、両者に共通していたこともあります。

 

スパゲッティやマカロニが、庶民のパスタであるのに対して

ラザニアとラビオリは、貴族のパスタであるという点です。

 

おそらく貴族には、多数の専属の料理人がいたと思われます。

腕を競い合って美味しいパスタ料理を作ったことでしょう。

 

現代では貴族専属の料理人はいないかもしれませんが、

その代わり、才能ある料理人が多数活躍しています。

 

イタリアのどこのリストランテに行っても

美味しいパスタ料理があります。

 

パスタ料理を愛する人に貴族も庶民もありません。

誰もが美味しい料理を楽しむことができます。

 

私たちはパスタの神様に感謝しなければなりません。