おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

拙著「四季の菜摘み」紹介

 食生活が豊かになると失うことがある。感謝の心である。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、逆もまた真なり。「衣食足りて礼節を欠く」こともある。今や、飽食の時代を迎え、豊かであるがゆえに、却って食べものに対する感謝の心が薄れ、礼節が失われている。

 一例が「食品ロス」である。食べ残しや売れ残りのために廃棄される食品のことである。日本国内の食品流通量の何と四割にも及ぶという。嘆かわしい限りであるが、嘆いてばかりもいられない。食べものを粗末にしない風潮を何とか築いていかなければならない。そのためには原因を知る必要があるが、原因の一つは明らかである。私たちが貧しかった時代の苦難を忘れてしまったことである。

 思い起こせば日本が豊かになったのは、そう昔のことではない。近代国家になっても農村は貧しかった。昭和の初期には東北、北海道で記録的な冷害が発生し、大凶作に見舞われた。また、太平洋戦争によって国土が荒廃し、戦中戦後は極度の食糧不足のために窮乏に陥った。

 昭和三十年代には、八郎潟干拓事業が始まった。当時の八郎潟は、琵琶湖に次ぐ日本第二位の面積を持つ湖であった。それを干拓してまで農地を確保するのは、食糧増産、とくに米を増産する目的に他ならない。すなわち、終戦から十年以上を経ても、まだ食べものが十分ではなかったのである。

 皮肉なことに、着工から二十年をかけて干拓事業が竣工する頃には、日本の食糧事情は大きく変わっていた。米が不足するところか、米が余る時代になっていたのである。まさに浦島太郎のような話である。

 日本は高度経済成長期を経て、洋食化や外食化が進み、ファーストフード産業が急成長した。家庭の食卓にも、インスタント食品やレトルト食品や冷凍食品が普及するようになり、もはや羽釜を使って「かまど」でご飯を炊く時代ではなくなった。食の多様化によって、米の需要は大幅に減少したのである。

 農業技術も飛躍的に発展して、農村でも機械化が広まった。農作物の生産量が増えるだけでなく、ハウス栽培により季節に関係なく一年中生産できるようになった。運輸や流通も急速に整備され、収穫されたばかりの食材が全国から集まり、店頭には連日多彩な食品が並ぶようになった。

 当然、消費者の意識も変わってくる。種類が豊富で供給量が多いだけでは満足しない。新鮮で美味しくて見た目がよくて、しかも手頃な価格でなくてはならない。舌の肥えた消費者の嗜好に合うように品種改良も頻繁に行われるようになった。

 昭和末期のバブル経済期になると、その要求はさらに高まり、高価であろうが、希少であろうが、世界中の美味しい食材や珍しい食材が日本の食卓に取り寄せられるようになった。

 かつて唐の玄宗皇帝に愛され、傾国の美女として知られている楊貴妃は、南国の高級果実ライチをとくに好み、産地の嶺南地方から長安の都まで早馬で運ばせたと伝えられている。さらに、それだけでは満足できず、木の枝から摘みたてのライチを食べるために、果樹を丸ごと大きな鉢に植え替えさせて運んだとの伝説もある。何ともわがままな話であるが、バブル経済期の日本人もそれに劣らぬほど贅沢であった。

 やがてバブル経済期が泡と消え、今度は健康ブームが訪れると、食材の栄養成分がにわかに注目されるようになった。従来のビタミン類や鉄分やカルシウムなどに加えて、リコピンカテキンポリフェノール、スルフォラファンなどの聞き慣れない栄養素を含む食材が次々に珍重された。

 食べものに関心を持ち、より品質の高いものを求めることは決して悪いことではない。むしろ、生産者にとっても消費者にとっても望ましいことである。生産者は価値のある食材を提供すべく一層努力するであろう。消費者は心から感謝してそれを有り難く享受するであろう。

 しかし、本当にそうであろうか。私たち消費者は本当に心から感謝して享受しているであろうか。価値のある食材を享受するということは、価値のない食材を受容しないということである。しかもその価値とは、私たち消費者が主観的に思い描く価値であって、食材の本当の価値ではない。その要求が過度に高まった結果、農作物はどうなったであろうか。良くも悪しくも、昔のものと大きく変わってしまったことは言うまでもない。

 たとえば、胡瓜一本を見てもそうである。昔の胡瓜は曲がっていた。曲がっているのが当たり前であった。表面には棘があった。指を刺すほどの鋭い棘であった。皮は固く、まるで食べられるのを拒んでいるようであった。実り過ぎた胡瓜には渋みがあり、これまた食べられるのを拒んでいるようであった。

 それでも昔の胡瓜は旨かった。畑で採り立ての胡瓜を井戸水で冷やし、豪快にかぶりついたときの快感は格別である。胡瓜の命を丸ごといただいた感じがする。決して大袈裟な表現ではない。まさしくそう感じるのである。あっぱれ、よくぞここまで瑞々しく成長したものだと褒めたいほどであった。

 昨今はそのような胡瓜が市場に出ることはない。曲がっているだけで消費者は敬遠する。仮に市場で扱われたとしても、固かったの、渋かったのと苦情が出ることは必定である。それは生産者にとっても流通業者にとっても避けたいことである。

 見た目が悪いと売れないのは胡瓜に限ったことではない。虫が食った葉野菜も不格好な形の果実も売れない。大根も人参も蕪も泥がついたままでは売れない。きれいに洗浄されている。わざわざ「泥つき」と銘打って売られるのは、葱と牛蒡くらいである。

 味もそうである。見た目以上に味の評価は厳しい。美味しくなければ当然売れない。そのため品種改良が繰り返され、おかげで果実は限りなく甘くなり、野菜は限りなく美味しくなった。昔のように、顔をしかめるほど酸っぱい夏蜜柑に出会うことも、跳び上がるほど辛い大根に出会うことも滅多にない。

 野菜のアクも少なくなった。かつて法蓮草はたっぷりの湯で下茹でしてアクを抜いたものであるが、今はその必要もないほどである。生でも食べられるサラダ用の法蓮草さえある。芋類も根菜類も皮をむいて水に晒す必要はない。アクが強い種類がほとんど姿を消してしまったからである。昔の野菜と現在の野菜は、まったく違うのである。

 じつは私の憂いはそこにある。たとえ見た目が悪くてもアクが強くても、野菜は野菜である。苦くても辛くても渋くても、野菜に罪はない。野菜は野菜自身のために生きているのであって、人のために生きているのではない。人が勝手に野菜を食用としているに過ぎない。それを謙虚に理解し、感謝していただくべきである。

 禅僧が食事の前に唱える「五観の偈」の冒頭には、次のような言葉がある。「功の多少を計り、彼の来処を量る」と。食事の用意にどれほど多くの人々の手がかかったのか推し量り、食材がどこからやって来たのか想いを馳せ、その尊さに感謝していただくべきである。意訳すれは、そういう意味である。禅宗では食事を作るのも修行ならば、それをいただくのも修行なのである。

 無論、誰もが禅宗の教えに従って僧侶のように修行を積んで生きているわけではないが、感謝の心を持つ姿勢には学ぶべき価値がある。品質の良し悪しに関わらず、縁あって巡り会えた食材の素晴らしい個性をしっかり味わう気持ちが大切なのである。

 「四季の菜摘み」は、その気持ちを伝えるために執筆した随筆である。私の書く文章にはグルメ情報はない。流行の料理もなければ、人気のレストランの紹介もない。あるのは食材の話ばかりである。一つ一つの食材を心から愛し、その食材の歴史を繙き、本当に美味しい食べ方は何であるかを真剣に考えた文章である。

 そのため食材に対する思い入れが強く、微に入り細を穿った文章になりがちであった。ともすれば、理屈っぽく感じられる箇所もある。自分で読み返してみてもそういう印象を受ける。しかし手直しするつもりはない。なぜならば、執筆に当たって私が目指したのは、普段食べている食材がじつはこの上もなく美味しいということを読者に再発見をしてもらうことだからである。そのためには微に入り細を穿って正確に書くしかない。その筆致が読者に伝われば幸甚である。

 できれば、この先もずっと四季の食材の素晴らしさを伝え続けていきたいと願う。そして、百年先の人々にも読んでもらえるように、現在の私たちの四季折々の食文化を詳細に書き残していきたいと願う。その願いが叶うのならば、四季の食材を心から愛する者として、これに過ぎたる喜びはない。