おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

中世の日本で乳製品が普及しなかった理由

日本にバターやチーズが普及したのは明治時代ですが、

じつは遥か昔に日本で乳製品が作られていました。

 

すでに飛鳥時代には、薬として牛乳が伝わっていました。

乳牛の飼育方法や搾乳技術も知られていました。

 

山城国摂津国には酪農牧場があったそうです。

皇室や貴族に牛乳が献上されていました。

 

やがて牛乳は税の一種として取り扱われるようになり、

典薬寮には「乳牛院」という管轄機関が設けられました。

 

牛乳を専門に管理する「乳長上」という役職も置かれました。

「ちちのおきのかみ」と呼ぶそうです。

 

しかし牛乳は生鮮品ですから常温で保存できません。

遠隔地からの輸送も困難です。

 

そこで牛乳を加工する技術が発達しました。

日本独自の乳製品の誕生です。

 

その製法については不明な点が多いのですが、

文献には「酥」という乳製品が記されています。

 

牛乳を煮詰めて凝縮し、乾燥させたものと考えられています。

チーズのように酵素を使った乳製品ではないようです。

 

「生酥」が練乳で、「熟酥」がバターという説もあります。

いずれにしても高貴な方々に愛された珍味です。

 

酥については、「延喜式」という文献に載っています。

平安時代に編纂された法典のことです。

 

延喜式の編纂をご命じになられたのは醍醐天皇ですが、

醍醐とは極上の乳製品のことです。

 

醍醐天皇は乳製品にご縁がある方でいらっしゃいます。

 

ところが平安時代末期になると酪農が衰退します。

乳製品も作られなくなってしまいます。

 

朝廷の権威が衰退してきたことが主な原因ですが、

武士が台頭してきたこともまた原因の一つです。

 

武士の合戦が盛んになってくると軍馬の需要が高まります。

牧場では牛ではなく、馬が飼育されるようになります。

 

そのため鎌倉時代になると乳製品は姿を消します。

 

鎌倉幕府が倒れた後、再び天皇中心の政権が生まれます。

後醍醐天皇が主導した「建武の新政」です。

 

後醍醐天皇は、四百年前の醍醐天皇の治世を理想としました。

お名前にも醍醐天皇を継承するお気持ちが現れています。

 

さっそく乳製品加工事業を再開しようと試みますが、

政権が短命に終わり、挫折してしまいます。

 

結局、後醍醐天皇は京を追われ吉野に逃れます。

乳製品復活の夢は消えてなくなりました。

 

後醍醐天皇は乳製品にご縁がない方でいらっしゃいます。