申年に穫れた梅のことを申梅(さるうめ)といいます。
昔から縁起の良い梅とされています。
その由来は平安時代に遡ります。
村上天皇の治世に疫病が流行しました。
天皇ご自身もついに病床に伏されることになりました。
当時京都では空也上人が疫病に苦しむ民衆を救済していました。
自ら十一面観音像を彫って車に乗せ念仏を唱えながら引き歩きました。
観音様にお供えしたお茶を病人に飲ませると不思議と快復したそうです。
このお茶に梅干しと昆布を入れて天皇に献上したところ
疫病が立ちどころに治癒したと伝えられています。
この出来事があったのは申年のことでした。
以来、申梅は無病息災の妙薬とされたそうです。
またこのときのお茶は「福茶」と呼ばれるようになりました。
邪気を払う縁起物として元日に服する習慣が生まれました。
今は梅干しと昆布だけでなく炒った黒豆や山椒も入れて飲みます。
村上天皇はじつは梅にご縁の深い方でいらっしゃいます。
大鏡という歴史書に鶯宿梅(おうしゅくばい)という有名な話があります。
村上帝の御代にどうしたことか清涼殿の梅が枯れてしまいました。
代わりの梅を探させますがなかなか良い木が見つかりません。
都中を探し回りついにある家に立派な梅の木を見つけました。
さっそく掘り起こして内裏に持ち帰ろうとすると、
家の者が出てきて梅の枝に結んでほしいと文を差し出します。
新しく植え替えられた梅をご覧になられた帝はご満悦です。
ふと枝先を見ると文が結んであります。
何かとお手に取られると女性の筆跡でこう書いてありました。
勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へむ
勅命とあれば畏れ多いことですから梅の木を差し上げましょう。
しかし鶯がやってきて宿はどこかと尋ねたら何と答えましょうか。
帝は不思議にお思いになられて誰の家か調べさせました。
するとあの有名な歌人、紀貫之の御息女が住む家であることがわかりました。
帝はたいへん遺憾に思われたということです。
心の優しい方でいらっしゃったのですね。