おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

サラダ風味せんべい

おせんべいには醤油味以外にもいろいろな種類があります。

塩せんべい、ゴマせんべい、ザラメせんべい、磯辺せんべいなどです。

 

その中にサラダ風味せんべいというものがあります。

サラダせんべいともサラダ味せんべいとも呼ばれています。

 

サラダ風味とは一体どんなおせんべいなのでしょうか。

 

じつは塩せんべいの一種です。

塩をまぶしやすいように表面にサラダ油をからめました。

決してサラダドレッシングの味ではありません。

 

サラダ風味せんべいが作られたのは昭和30年代です。

当時はサラダ油が高価な食材でした。

 

塩せんべいという呼称よりはサラダ風味せんべいの方が

おしゃれで高級感があったそうです。

 

それ以来すっかり定着しました。

 

ところでサラダ油とはどのような油でしょうか。

サラダドレッシングに使われる油のことでしょうか。

 

サラダ油とは日本農林規格の基準を満たした原材料を使い

日本農林規格が定めた工場で作られた油のことです。

 

何だか分かりにくいですね。

 

簡単にいうと低温でも凝固しないように精製された油です。

サラリとしていて加熱しない料理に向いています。

ですからサラダ油と名づけられました。

 

味と香りにクセがないのがサラダ油の大きな特徴です。

ですから加熱しない料理だけでなくじつは加熱する料理にも向いています。

揚げものや炒めものにもサラダ油が多く使われています。

 

サラダ風味せんべいがあまり油っぽく感じないのは

サラダ油の特徴のおかげです。

 

骨せんべい

骨せんべいは米菓ではありません。

魚の骨を油で揚げたものです。

 

魚を三枚に下ろしたときに骨の間にはまだ身が残っています。

これを捨ててしまうのはもったいない話です。

 

マグロのような大型の魚は解体した後の骨の周りに身がたっぷり残ります。

これを貝殻やスプーンを使ってこそげ落とします。

いわゆるマグロの中落ちと呼ばれる部分です。

 

キスやサヨリのような小型の魚ではほとんど中落ちが取れません。

その代わり骨ごと油で揚げるとおいしくいただけます。

それが骨せんべいです。

 

三枚に下ろした骨は濃いめの塩水にしばらく浸けてから干します。

繊細なので直接塩を振るよりは塩水に浸けた方が均等に塩味がつきます。

 

夜風に一晩吹かれると水分が抜けてちょうどよい感じになります。

それを素揚げにするか粉をはたいてカラリと揚げます。

熱々のところを食べるとまるでおせんべいのようにサクサクです。

 

三枚に下ろした魚ならアジでもサンマでもイワシでも作れますが

サバは骨が堅いので骨せんべいには向いていません。

 

サバは骨からこそげ落とした身を丸めて油で揚げます。

これをサバ団子といいます。

 

しかし1尾や2尾ではサバ団子を作るには足りません。

そのときは船場汁を作りましょう。

 

サバのアラを湯通ししてからダイコンと一緒に煮ます。

塩と醤油で味を調えてショウガのしぼり汁を加えます。

 

サバのアラだけでこんなにおいしい椀ができるのかと感動します。

 

船場汁は大阪の商業の中心地である船場で作られました。

食べものを無駄なくおいしくいただこうとする工夫が見られます。

大阪商人の優れた気質を感じる一品です。

 

骨せんべいはいつどこで作られたのかわかりませんが、

船場汁と同様に魚を無駄にしない料理法です。

 

ここまでおいしく食べることができれば魚も浮かばれます。

ごちそうさまでした。

 

南部せんべい

南部せんべいうるち米粉ではなく小麦粉から作られます。

小麦粉と水と塩を混ぜて練った生地を丸い鋳型で焼き上げます。

 

青森県八戸地方から岩手県北部にかけて広く食べられています。

素朴な味わいが愛されているせんべいです。

 

南部せんべいという名称は南部氏が八戸藩の藩主だったことに由来します。

歴史は古く南北朝時代に作られたという伝承も残っているそうです。

 

もともと八戸地方は寒冷な地域です。

夏には太平洋沿岸に冷たい「やませ」が吹きつけて冷害をもたらします。

 

凶作に苦しんだ人々は米ではなく寒さに強い小麦を栽培しました。

南部せんべいは八戸地方の小麦の食文化を代表する食べものです。

 

胡麻が入ったものと落花生が入ったものはよく知られていますが

何も入らない「白せんべい」というものもあるそうです。

 

白せんべいは「せんべい汁」の具としても使われます。

汁物にせんべいを入れるのは意外に思われるかもしれませんが、

江戸時代から200年近くの歴史があるそうです。

 

もっとも南部せんべいは小麦粉から作られます。

同じ小麦を原料とする「すいとん」や「ほうとう」などの料理に

近いのではないかと考えられます。

 

醤油味や味噌味だけでなくトマトソースやチーズにも合うそうです。

たしかにニョッキがトマトソースに合うなら南部せんべいも合うはずです。

 

オニオングラタンスープに添えるガーリックトーストの代わりに

南部せんべいを添えてもおいしそうです。

 

ブイヤベースの濃厚な魚介類の味にも合いそうです。

ポタージュスープに浮かべるクルトンに使ってもよいかもしれません。

 

地元ではせんべい汁用の煮崩れしにくい南部せんべいが売られているそうです。

入手する機会があればいろいろな鍋料理に試してみたいと思います。

 

お煎餅の由来

お煎餅がいつ頃から作られるようになったのか詳しくわかっていませんが

いろいろな説がある中で埼玉県の草加を起源とする説が有力です。

 

草加宿は日本橋を起点とする奥州街道日光街道の二番目の宿場です。

宿場として整備されたのは江戸時代に入ってからのことです。

それまでは米づくりが盛んな農村地帯でした。

 

昔からこの地域では蒸した米を団子にして焼いて食べる習慣があったそうです。

宿場として栄えるようになると旅人にこの団子を売り出すようになりました。

 

その草加宿に一軒の茶屋がありました。

 

お婆さんがたった一人で営んでいました。

そのお婆さんの名前は「おせん」といいました。

 

おせん婆さんが作る団子は味は悪くないのですが全く売れません。

するとある旅人がこんな助言をしました。

 

いくら旨いといったって団子は珍しいものじゃない。

どうだい。いっそのこと平たい団子でも作ってみては。

売れんじゃないかい。

 

そこでおせん婆さんは平たく円盤にした団子を焼いて売り出しました。

これがたちまち評判となり飛ぶように売れました。

 

おせん婆さんが焼いた餅なので、いつしかこの団子は「せん餅」と

呼ばれるようになり街道中に知られました。

 

やがて千葉県の野田で醤油造りが盛んになると、それまで塩味だった煎餅に

醤油を使って香ばしく焼き上げるようになりました。

 

それが今の草加煎餅の始まりだと伝えられています。

 

フレンチの神様

ジョエル・ロブション氏が亡くなりました。

 

神様と謳われたフランス料理界の巨匠です。

輝かしい経歴を持つ鬼才でした。

 

史上最年少でフランス最優秀職人賞を受賞したことはあまりにも有名です。

弱冠30歳のときです。

 

1981年にはパリのレストラン「ジャマン」を先代のレーモン・ジャマン氏から

引き継ぎました。

 

そして1984年には最高の栄誉であるミシュランの三つ星を獲得しました。

弱冠39歳のときです。

 

その年パリにわずか四軒しかない三つ星レストランのうちの一つです。

もちろん最年少のオーナーシェフです。

 

ジョエル・ロブション氏が登場した頃のフランス料理界は

ちょうどヌーヴェル・キュイジーヌの反動の時代でした。

 

斬新な料理法で一世を風靡したヌーヴェル・キュイジーヌに対して

やはり伝統的なフランス料理の味を求める声が高まりました。

 

ジョエル・ロブション氏は両者の良いところを継承して融合しつつ

創造性豊かな料理を次々と発表します。

 

私が最初に出会った彼の料理は「赤ピーマンのバヴァロア」です。

 

もちろん本人が作った料理を食べたわけではありません。

ある料理の本の中で出会いました。そして感動しました。

 

赤ピーマンというありふれた素材が芸術品に仕上がっていました。

まさに奇跡のような料理法でした。

 

それ以来ジョエル・ロブション氏に関するあらゆる書籍を集め

彼の料理を研究しました。

 

料理に関してはるかに及ばないことは初めから承知していますが

彼から多くの教訓を学ぶことができました。

 

それは、料理には人を感動させる力があるということです。

人に喜びを与えたり勇気づけたり幸せにできる力があるということです。

 

これまでどれほど多くの人がジョエル・ロブション氏の料理から

感動を得てきたでしょうか。

 

どれほど多くの人が歓喜や勇気や幸福を与えられてきたでしょうか。

それを考えると本当に偉大なシェフだったと思います。

 

心からご冥福をお祈りいたします。

 

ガリの由来

お寿司屋さんで供されるショウガの甘酢漬けのことをガリといいます。

握り寿司をおいしくいただくには欠かせない存在です。

 

お寿司とお寿司の間にガリを食べると口の中がさっぱりして

味覚がリセットされる感じがします。

 

そのおかげで次に食べるお寿司の味に影響しません。

ガリにはいわゆる口直しのはたらきがあります。

 

お寿司屋さんでは寿司飯のことをシャリ、醤油のことをムラサキ、

お茶のことをアガリと呼ぶ習慣があります。

 

ショウガの甘酢漬けをガリと呼ぶのもその習慣の一つですが

なぜガリなのでしょうか。

 

それはショウガを薄切りにするときにガリガリと音がするからとも

食感がガリガリするからともいわれています。

 

実際はガリガリというほどではなくシャキシャキした感じです。

 

たいていのお寿司屋さんでは専門の業者から仕入れていますが、

中には自分のお店でガリを作るお寿司屋さんもあります。

 

シャキシャキ感を出すコツはショウガの繊維に沿って切ることです。

そうすることで舌触りが良くなります。

 

切ったショウガをさっと湯がいて甘酢に漬けます。

一晩冷蔵庫に寝かせるとガリができます。

 

ピンク色に染まるのは着色料を使っているからではありません。

ショウガに含まれる色素が酢と反応して染まるからです。

 

私も新ショウガが出回る季節にはよくガリを作ります。

少しだけ梅酢を加えて紅ショウガにします。

 

色合いもよく稲荷寿司や散らし寿司にも最適です。

 

沢庵漬けと沢庵和尚

沢庵漬けは干したダイコンを糠と塩に数か月間漬けたものです。

日本の伝統的な漬け物の一つです。

 

この沢庵漬けを最初に作ったのは誰でしょうか。

 

一説によると沢庵和尚が考案したと伝えられています。

だから沢庵漬けと名がついたと。

 

本当にそうでしょうか。

 

沢庵和尚は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した臨済宗のお坊さんです。

名利を求めず気骨のある生き方をした僧侶として知られています。

 

時の権力者にも筋を曲げることなくいうべきことをいいました。

そのため出羽国流罪となった経歴も持っています。

 

しかしその魅力的な人柄に惹かれて多くの大名が帰依しています。

三代将軍徳川家光公とも親交がありました。

 

家光公が沢庵和尚の寺を訪れたときにダイコンの漬け物を召し上がったそうです。

その漬け物を家光公はいたく気に入り名を尋ねました。

 

「これは名もなき漬け物にござります」と沢庵和尚が答えると

「では沢庵漬けと名づけるべし」と命名されました。

 

家光公の一声によりそれ以降は沢庵漬けと呼ばれるようになったそうです。

ですから沢庵和尚が沢庵漬けを考案したわけではないようです。

 

そもそも干したダイコンを糠と塩に漬けるだけの簡単な漬け方を

それ以前の人々が思いつかないわけはありません。

 

あまりにも一般的に普及している漬け物であるがゆえに

名を問われた沢庵和尚も答えに窮したのではないでしょうか。

 

禅宗の食事にお粥と漬け物は欠かせません。

 

お粥を食べ終わった椀にお湯を注ぎ一切れの沢庵漬けで

きれいに椀を拭き取るようにして食べます。

 

音を立てて沢庵漬けを食べることは禁じられています。

禅宗では厳粛に食事の作法を守ることも大切な修行の一つです。

 

実際にやってみるとこれは意外と難しいものです。

どうしてもポリポリと音を立ててしまいます。

ゆっくり時間をかけて口の中で静かに噛むしかありません。

 

ダイコンを栽培した人に感謝し、沢庵漬けを作った人に感謝し、

そしてダイコンの命をいただくありがたさに感謝して味わいます。

 

それが禅宗の教えなのかもしれません。