おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

朴の葉と椎の葉

新緑の季節にならないと食べられないお寿司があります。

朴葉寿司です。

 

朴の木は初夏になると香りのよい大きな葉を茂らせます。

その葉の上に酢飯を乗せて、鮭、ミョウガ、フキ、シイタケなどの具と

一緒に包んだのが朴葉寿司です。

 

岐阜県飛騨地方を中心に古くから伝わる郷土料理です。

 

朴葉を使うのは香りがよいばかりでなく殺菌作用があるからです。

笹の葉寿司や柿の葉寿司と同じように携帯食の意味もあります。

山仕事や農作業に持って行くお弁当として作られたそうです。

 

秋になって枯れ落ちた朴葉を使う料理もあります。

朴葉味噌です。

 

こちらも飛騨高山地方の郷土料理です。

 

朴葉は比較的火に強いので、葉の上に味噌を乗せて七輪で焼きます。

香ばしく焼き上がった味噌が朴葉の香りに包まれます。

 

近年は味噌だけでなく野菜や肉も一緒に焼くことがありますが、

昔は薬味のネギや漬け物を刻んで加えるだけだったそうです。

 

素朴でありながらじつに洗練された芳潤な料理です。

 

朴葉のような大きい葉は古くから食器の代わりに使われてきました。

握り寿司や刺身は葉欄(はらん)という葉に盛られることがあります。

 

熱帯の国ではバナナの葉がよく使われます。

器として使うだけでなく食材を包んで焼いたり蒸したりします。

 

万葉集には椎の葉に飯を盛る有名な歌が載っています。

有間皇子(ありまのみこ)が詠んだとされる歌です。

 

家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

 

「家にいれば食器に盛り付けるご飯も旅の途中だから椎の葉に盛ることだなあ」

という旅の侘しさを嘆いた歌です。

 

じつはこの歌については昔から国文学者の間で論争がありました。

椎の葉がご飯を盛るにはあまりに小さすぎるからです。

 

本人が食べるためではなく神に供物として捧げたのではないかという説や

椎の葉しか見つからないほど過酷な旅だったのではないかという説や

後世に別人が有間皇子の気持ちを詠んだのではないかという説があります。

 

実際に有間皇子は悲運の生涯を送りました。

政争に巻き込まれ、謀略によって19歳という若さで命を失います。

 

この歌は処刑場に護送される途中の作とされています。

ですから決して旅情あふれる歌ではありません。

 

目の前の死を見据えた有間皇子はどのようなお気持ちだったのでしょうか。

淡々とした歌風の中にむしろ深い悲哀を感じ取ることができます。

 

万葉集は、歌の内容から挽歌、相聞歌、雑歌の三つに分類されます。

有間皇子の歌は挽歌に属します。

 

挽歌というのは、亡くなった人を悼む歌のことです。

おそらく万葉集の選者も有間皇子の悲運の死を悼んだのではないでしょうか。

 

椎の葉に盛られた飯に有間皇子の心の叫びが描かれています。

生きることの本質を詠った優れた歌であると私は思います。

 

おこわとちまき

もち米を蒸したご飯のことを「おこわ」といいます。

強飯(こわいい)が転じた言葉です。

 

それに対して姫飯(ひめいい)という言葉があります。

こちらは柔らかく炊いたご飯のことです。

 

おこわは狭い意味で「お赤飯」のことを指すことがありますが、

「山菜おこわ」や「栗おこわ」など季節の素材を用いたものもあります。

 

私はよく「五目おこわ」を作ります。

 

鶏肉、ニンジン、ゴボウ、レンコン、干しシイタケを小さく切って

醤油とみりんと干しシイタケの戻し汁で煮ます。

 

やや濃いめに下味をつけておくのがコツです。

おこわの中でちょうどよい味のアクセントになります。

 

五目だからといって具を五種類に限る必要はありません。

コンニャクや凍り豆腐を入れて具を増やしても構いません。

 

季節によってタケノコやギンナンを使うこともあります。

干しエビや干し貝柱やチャーシューを使うと中華風になります。

 

もち米はよく研いでたっぷりの水にしばらく浸けておきます。

うるち米を混ぜて作るものもありますが、私はもち米だけのおこわが好きです。

 

蒸す直前にもち米の水気を切って具とあわせます。

蒸籠(せいろ)に入れて強火で蒸し上げます。

 

蒸し過ぎると「おこわ」ではなく「おもち」になってしまいます。

柔らかくなり過ぎず、もちもち感が残るように蒸します。

 

蒸すときは濡れ布巾でもち米を包み込みます。

蒸気が全体にムラなく行きわたるようにするためです。

 

私は蒸籠に笹の葉や蓮の葉を敷き、その上にもち米を乗せて蒸し上げます。

とても香り豊かなおこわができます。

 

じつはこの料理方法は「ちまき」を応用したものです。

もちろん私が発案したものではなく、広く一般に知られています。

 

ちまきは笹の葉や竹の皮でもち米をくるんで蒸した料理です。

昔は茅(ちがや)の葉で巻いたのでちまきと呼ぶそうです。

 

ちまきは中国から東南アジアにかけて古くから作られていますが、

作り方も形も中身もじつに様々です。

 

唯一ちまきに共通していることは冷めてから食べることです。

そのため、ちまきの葉をむいたときの香りも穏やかです。

 

それに対しておこわは蒸し立ての熱々をいただきます。

蒸籠を開けたときに立ち上げる芳香はちまきを遥かに凌ぎます。

 

笹の葉や蓮の葉に乗せて蒸したおこわは味も香りもご馳走です。

おこわという料理の奥深さを堪能できます。

 

小倉餡の小倉とは何か

 

小豆の餡には「つぶあん」と「こしあん」があります。

では小倉餡とは何でしょうか。

 

小倉餡は、大納言を煮て蜜に漬けたものをこしあんに混ぜて作ります。

ただし一般にはつぶあんのことを小倉餡と呼ぶこともあります。

 

小倉餡という名前は京都の小倉山に由来します。

 

小倉山は桂川をはさんで嵐山と向かい合っています。

昔から紅葉の名所として知られています。

 

藤原定家の別荘である「小倉山荘」があったと伝えられています。

定家が小倉山荘で選定した歌集が小倉百人一首です。

 

小倉山の周辺では平安時代から小豆の栽培が始まりました。

たいへん良質の小豆が生産されたそうです。

 

ある菓子職人がその小豆を使って餡を作りました。

それが小倉餡と呼ばれるようになりました。

 

当地には小倉餡発祥の地を記す石碑が立っているそうです。

 

さて、もう一つの由来があります。

小倉餡が紅葉のように美しいからという説です。

 

小倉山が紅葉の名所であることは先ほど述べました。

紅葉を詠んだ和歌が小倉百人一首にも収められています。

 

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

 

貞信公の歌ですが、小倉山の紅葉に対する愛情が感じられます。

京に住む人にこよなく愛されていたことがわかります。

 

こしあんに点在する大納言が小倉山を彩る紅葉に見えたのでしょうか。

小倉山の名を取って小倉餡と名づけられました。

 

かなり強引な説に思われるかもしれませんが、

食べものを花や紅葉に譬えることは珍しいことではありません。

 

例えば鶏肉や魚介の「竜田揚げ」がそうです。

 

竜田揚げの竜田とは奈良の生駒を流れる竜田川のことです。

その流域は紅葉の名所として知られています。

 

竜田揚げは、醤油で下味をつけ片栗粉をまぶして油で揚げる料理です。

揚げ色が竜田川の紅葉のように赤いので名づけられました。

 

小倉百人一首の中に竜田川の紅葉を詠った和歌があります。

 

ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

 

神の代にも聞いたことがないほど紅色に染まっているという歌です。

在原業平の代表的な作品です。

 

川岸の紅葉が色鮮やかに水面に映っているとも解釈できますし、

舞い散った紅葉が水面を赤く覆いつくしているとも解釈できますが、

おそらく後者ではないかと思います。

 

後世、流水に紅葉を配した図案を竜田川模様と呼ぶようになりました。

竜田揚げもそれに劣らぬ芸術的な名前です。

 

宇治金時の金時とは何か

宇治金時は白玉やかき氷の定番として甘党に愛されています。

抹茶と餡の上品な組み合わせが魅力です。

 

宇治とはもちろんお茶の産地として名高い京都の宇治のことです。

 

必ずしも宇治茶が使われるわけではありませんが、

その場合は「抹茶金時」という名称を使うこともあります。

 

では金時とは何でしょうか。

金時は金時豆で作った餡のことをいいます。

 

金時豆は小豆と違ってインゲン豆の仲間です。

粒が大きく煮豆や甘納豆によく使われます。

 

金時豆の餡は小豆の餡とは異なる風味を持っていますが、

じつは宇治金時に使われるのはたいてい小豆の餡です。

 

そのため「抹茶あずき」という名称を使うことがあります。

たまに「宇治あずき」を見かけることもあります。

ちょっと混乱してしまいますね。

 

使っている材料を正しく表示することは大切なことですが、

あまりに率直すぎると風情がなくなってしまいます。

 

例えば「月見そば」が「生卵そば」では風情がありません。

「きつねうどん」が「油揚げうどん」では美味しそうではありません。

 

きつねうどんにキツネを使わないことは誰でも知っています。

キツネが入っていないと文句をいう人はいません。

 

宇治金時に対しても私たちはもっと寛容でよいのではないでしょうか。

 

ところで、金時豆の名前の由来は何でしょうか。

平安時代の伝説的な武人、坂田金時から名づけられたという説が有力です。

 

坂田金時は幼名を金太郎といいます。

童話や昔話で活躍するあの有名な金太郎です。

 

絵に描かれるときは赤い腹巻をした元気いっぱいの健康優良児です。

大粒で色鮮やかな赤紫色の金時豆がその姿を彷彿させたのではないでしょうか。

金時豆は金太郎に負けない立派な姿と風味を持っています。

 

面白いことに金時豆の色は赤紫ですが、花の色は可憐な薄紫色です。

剛健な金太郎の印象とは正反対にたおやかな品位が感じられます。

 

童話の中では母親孝行として語られることが多い金太郎ですが、

金太郎の母親は金時豆の花のような美しい人だったのかもしれません。

 

 

大納言小豆の大納言とは何か

小豆の中でも粒の大きいものを大納言といいます。

 

ただし大納言という品種があるわけではありません。

丹波、とよみ、アカネなどの品種を総称して大納言と呼んでいます。

 

大納言は単に粒が大きいだけではありません。

普通の小豆よりも糖分が多く味が濃いのが特徴です。

そのため高級和菓子などに使われます。

 

ところで、どうして大納言という名がついたのでしょうか。

 

以前日本史の先生に教えていただいた説では尾張大納言に由来するそうです。

 

尾張大納言とは尾張徳川家の当主のことを指します。

尾張紀州、水戸の徳川御三家の中で尾張徳川家は筆頭格の家柄です。

 

尾張原産の小豆の中にそれはそれは見事な大粒の実がありました。

その別格の小豆を尾張徳川家にあやかって大納言と名づけたと伝えられています。

 

広辞苑を調べてみても確かにそのような説明が載っています。

 

しかし、もう一つ別の有力な説もあります。

 

大納言とはもともと公家の官職ですが、やがて武家にも与えられました。

とはいえ、武士なら誰でもよいというわけではありません。

 

相当に身分の高い由緒正しい家柄でなければなりません。

御三家の水戸徳川家でさえ大納言を賜ることなく中納言に甘んじていました。

 

ですから大納言を奉じるような武家であれば様々な特権が与えられます。

例えば殿中で刀を抜いても罪を問われません。

 

通常は宮中や殿中で刀を振り回せば腹を切らなければなりません。

よく知られているのは赤穂浪士が活躍する忠臣蔵の話です。

 

殿中で吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭長矩は切腹を命じられました。

内匠頭(たくみのかみ)とは官職名です。

 

大納言が正三位であるのに対して内匠頭は従五位です。

大納言に比べるとかなり格下の役職です。

 

今の時代でいえば不祥事を問われる中間管理職でしょうか。

殿中での刃傷の責任を取って文字通り詰め腹を切らされたわけです。

 

もし浅野長矩が大納言であれば切腹しなくても済んだのでしょうが、

それでは忠臣蔵の名作は生まれていませんね。

 

ちょっと話が逸れてしまいました。

小豆の話に戻りましょう。

 

小豆は皮が柔らかい豆です。

煮るとすぐに実が割れてしまいます。

 

その点、大納言は煮ても実が割れにくい小豆です。

切腹しない豆なので大納言と名づけられたということです。

 

しかし実際は、割れにくいのであって割れないわけではありません。

どんな小豆でもことこと煮込めば柔らかくなります。

 

そのため慶事の料理に小豆を使うことを避ける傾向があります。

とくに江戸を中心とする武家の食文化では縁起を重視します。

 

切腹を連想させるような食材は絶対に使いません。

鰻の蒲焼きも腹開きではなく背開きにします。

 

当然お赤飯にも小豆を使いません。

ささげという皮の硬い豆を使います。

 

ささげは煮崩れせず大粒で色鮮やかです。

お赤飯を美しく彩ります。

 

ただし味の方は小豆にはるかに劣ります。

あまり美味しい豆ではありません。

 

決してささげを悪くいうつもりはないのですが、

お赤飯意外の料理に使われるのを私は知りません。

 

味よりも体面を重んじる武家のための食材といえます。

 

 

日本原産なのに知られていない果実その2

秋になると実るサルナシという果実があります。

日本列島、朝鮮半島、中国大陸の山に自生しています。

 

キウイフルーツを小さくしたような姿をしています。

実際にキウイフルーツと同じマタタビマタタビ属の仲間です。

 

野生種だけでなく最近は栽培もされるようになりました。

ベビーキウイの名で流通しています。

 

サルナシは漢字では「猿梨」と書きます。

猿だけでなく山に棲む動物たちにとってご馳走です。

とくに熊の好物とされています。

 

ではなぜクマナシではなくサルナシなのでしょうか。

それは「猿酒」の原料になる実といわれているからです。

 

猿酒とは猿が木の洞やくぼみで果実を自然発酵させて作る酒です。

意図的に猿が醸造しているのか偶然にできるのかは不明です。

 

ときどき猿酒を飲んで酔っている猿の姿が目撃されるそうです。

また誤って飲んだ鳥が酒酔い飛行することもあるそうです。

 

ところで私は子どものころキウイフルーツの季節は春だと思っていました。

果物屋さんがそう教えてくれたからです。

 

しかしそれは春になるとニュージーランドから輸入されるという意味でした。

実が生るのはもちろん秋です。

 

比較的栽培が簡単なため今では国内でも盛んに栽培されています。

最も生産量が多いのは愛媛県です。

みかん農家が転作しているためです。

 

ニュージーランド産は春に国内産は秋に出回ります。

 

もともとニュージーランドキウイフルーツは中国から伝わりました。

今から百年ほど前のことです。

 

当初は「チャイニーズ・グーズベリー」と呼ばれていました。

品種改良されてニュージーランドから輸出されるときに改名しました。

 

ニュージーランドの国鳥であるキーウィに因んだ命名です。

今から六十年ほど前のことです。

 

一般には見た目がキーウィの姿を連想させるからと信じられています。

 

日本でもキウイフルーツという名前で親しまれていますが、

昔は「西洋サルナシ」という別名もありました。

 

いつしかそう呼ばれなくなった理由はサルナシの知名度が低かったからです。

日本原産なのにちょっと悲しい果実です。

 

日本原産なのに知られていない果実その1

あまり知られていない日本原産の果実といえばアケビです。

 

アケビは柿と同じように日本を含む東アジアの原産です。

柿は英語でも「カキ」ですが、アケビも英語で「アケビ」といいます。

 

おそらく柿を知らない日本人はほとんどいないと思いますが、

アケビを知る日本人は決して多くはありません。

 

古くから日本各地の山に自生していますが、

その地域に住む人しか食べる機会がありませんでした。

 

私も子どもの頃に野生のアケビを食べた経験があります。

柿と同様に秋に実る果物です。

 

不思議なことに柿を取るときは大人の許可が要りますが、

アケビはいくら取っても叱られることはありませんでした。

 

柿と違って当時はアケビの商品価値がなかったのだと思います。

 

果物として栽培されるようになったのは近年のことです。

市場に出荷されるアケビのほとんどは山形県産です。

 

アケビの実は円筒状で鮮やかな紫色をしています。

熟すると果皮が割れて中から白い果実が出てきます。

 

アケビという名前は「開け実」に由来するそうです。

果皮が開いたときがちょうど食べ頃です。

 

実の形や甘味はバナナを連想させるところがあります。

しかしバナナと違って小さな種がぎっしり詰まっています。

 

一口噛んでは種を吐きながら食べます。

なかなか食べ難い果実です。

 

そのために柿ほど普及しなかったのではないかと考えられます。

たとえ美味しくても食べ難い果実は価値が低くなります。

 

もし品種改良されて種無しアケビが栽培されるようになれば

柿に負けない人気を博すことは間違いありません。

 

もっともそうなったら紫色のバナナと変わりません。

アケビらしさがなくなってしまって残念です。