「三献茶」という逸話があります。
秀吉が近江の国に鷹狩りに出かけたときのことです。
喉が渇いたので近くの観音寺に立ち寄って茶を所望しました。
寺の小姓が大きめの茶碗にぬるい茶を淹れて秀吉に献じました。
秀吉はそれを一気に飲み干して二杯目を求めました。
小姓は次に中くらいの茶碗にやや熱めの茶を淹れてきました。
さらに三杯目の茶を求めると小さな茶碗に熱く濃い茶を淹れてきました。
秀吉は茶の味を十分に堪能することができました。
小姓の名は佐吉といいます。
秀吉はこの細やかな心配りに感心しました。
そして佐吉を家臣にすることにしました。
これが後の石田三成です。
秀吉の側近として大活躍しました。
秀吉亡き後は関ケ原の戦いで西軍の大将を務めました。
三献茶は三成の機敏な才覚を伝える逸話として有名ですが、
実話ではなく江戸時代に創作されたのではないかと考えられています。
しかし仮に江戸時代に創作された話であったとしても、
三成は徳川幕府の祖である家康と戦った武将です。
それが徳川政権下で逸話として語られるわけですから
やはり非凡な人物なのではないでしょうか。
面白いことに三献茶と正反対の話があります。
出典は忘れましたがある茶人について書かれた話です。
ある茶人が客人を山荘に招きます。
客人は炎天下の山道を歩いてようやく山荘にたどり着きます。
ところが最初に出された茶は舌を焼くほど熱いものでした。
客人は汗をかきながらその熱い茶を飲みます。
茶人は次に井戸から汲んできた冷たい水で茶を淹れます。
いわゆる水出し茶です。
冷水で茶を淹れると時間がかかります。
客人はじっと茶が出来るのを待ちます。
山荘に爽やかな風が吹いてやがて汗が引いていきます。
空は澄み渡りゆっくりと白い雲が流れていきます。
遠くで小鳥のさえずる声が聞こえます。
客人の心が静かに落ち着いていきます。
そこにようやく一杯の水だし茶が供されます。
それはまさに甘露でした。
豊かな香りとほのかの甘味、喉を潤す幸福感。
客人はこのような珠玉の茶を味わったことがありません。
もし初めにこの水だし茶を出されていたら一気に飲んでしまったでしょう。
ここまで深く味わうことができなかったのではないでしょうか。
炎天下の下を歩かされたことも初めに熱い茶を飲まされたことも
全てはこの水出し茶の味の神髄を理解してもらうための演出なのです。
心憎いばかりの茶人の配慮です。
これが心配りというものではないでしょうか。