おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

宇治金時の金時とは何か

宇治金時は白玉やかき氷の定番として甘党に愛されています。

抹茶と餡の上品な組み合わせが魅力です。

 

宇治とはもちろんお茶の産地として名高い京都の宇治のことです。

 

必ずしも宇治茶が使われるわけではありませんが、

その場合は「抹茶金時」という名称を使うこともあります。

 

では金時とは何でしょうか。

金時は金時豆で作った餡のことをいいます。

 

金時豆は小豆と違ってインゲン豆の仲間です。

粒が大きく煮豆や甘納豆によく使われます。

 

金時豆の餡は小豆の餡とは異なる風味を持っていますが、

じつは宇治金時に使われるのはたいてい小豆の餡です。

 

そのため「抹茶あずき」という名称を使うことがあります。

たまに「宇治あずき」を見かけることもあります。

ちょっと混乱してしまいますね。

 

使っている材料を正しく表示することは大切なことですが、

あまりに率直すぎると風情がなくなってしまいます。

 

例えば「月見そば」が「生卵そば」では風情がありません。

「きつねうどん」が「油揚げうどん」では美味しそうではありません。

 

きつねうどんにキツネを使わないことは誰でも知っています。

キツネが入っていないと文句をいう人はいません。

 

宇治金時に対しても私たちはもっと寛容でよいのではないでしょうか。

 

ところで、金時豆の名前の由来は何でしょうか。

平安時代の伝説的な武人、坂田金時から名づけられたという説が有力です。

 

坂田金時は幼名を金太郎といいます。

童話や昔話で活躍するあの有名な金太郎です。

 

絵に描かれるときは赤い腹巻をした元気いっぱいの健康優良児です。

大粒で色鮮やかな赤紫色の金時豆がその姿を彷彿させたのではないでしょうか。

金時豆は金太郎に負けない立派な姿と風味を持っています。

 

面白いことに金時豆の色は赤紫ですが、花の色は可憐な薄紫色です。

剛健な金太郎の印象とは正反対にたおやかな品位が感じられます。

 

童話の中では母親孝行として語られることが多い金太郎ですが、

金太郎の母親は金時豆の花のような美しい人だったのかもしれません。

 

 

大納言小豆の大納言とは何か

小豆の中でも粒の大きいものを大納言といいます。

 

ただし大納言という品種があるわけではありません。

丹波、とよみ、アカネなどの品種を総称して大納言と呼んでいます。

 

大納言は単に粒が大きいだけではありません。

普通の小豆よりも糖分が多く味が濃いのが特徴です。

そのため高級和菓子などに使われます。

 

ところで、どうして大納言という名がついたのでしょうか。

 

以前日本史の先生に教えていただいた説では尾張大納言に由来するそうです。

 

尾張大納言とは尾張徳川家の当主のことを指します。

尾張紀州、水戸の徳川御三家の中で尾張徳川家は筆頭格の家柄です。

 

尾張原産の小豆の中にそれはそれは見事な大粒の実がありました。

その別格の小豆を尾張徳川家にあやかって大納言と名づけたと伝えられています。

 

広辞苑を調べてみても確かにそのような説明が載っています。

 

しかし、もう一つ別の有力な説もあります。

 

大納言とはもともと公家の官職ですが、やがて武家にも与えられました。

とはいえ、武士なら誰でもよいというわけではありません。

 

相当に身分の高い由緒正しい家柄でなければなりません。

御三家の水戸徳川家でさえ大納言を賜ることなく中納言に甘んじていました。

 

ですから大納言を奉じるような武家であれば様々な特権が与えられます。

例えば殿中で刀を抜いても罪を問われません。

 

通常は宮中や殿中で刀を振り回せば腹を切らなければなりません。

よく知られているのは赤穂浪士が活躍する忠臣蔵の話です。

 

殿中で吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭長矩は切腹を命じられました。

内匠頭(たくみのかみ)とは官職名です。

 

大納言が正三位であるのに対して内匠頭は従五位です。

大納言に比べるとかなり格下の役職です。

 

今の時代でいえば不祥事を問われる中間管理職でしょうか。

殿中での刃傷の責任を取って文字通り詰め腹を切らされたわけです。

 

もし浅野長矩が大納言であれば切腹しなくても済んだのでしょうが、

それでは忠臣蔵の名作は生まれていませんね。

 

ちょっと話が逸れてしまいました。

小豆の話に戻りましょう。

 

小豆は皮が柔らかい豆です。

煮るとすぐに実が割れてしまいます。

 

その点、大納言は煮ても実が割れにくい小豆です。

切腹しない豆なので大納言と名づけられたということです。

 

しかし実際は、割れにくいのであって割れないわけではありません。

どんな小豆でもことこと煮込めば柔らかくなります。

 

そのため慶事の料理に小豆を使うことを避ける傾向があります。

とくに江戸を中心とする武家の食文化では縁起を重視します。

 

切腹を連想させるような食材は絶対に使いません。

鰻の蒲焼きも腹開きではなく背開きにします。

 

当然お赤飯にも小豆を使いません。

ささげという皮の硬い豆を使います。

 

ささげは煮崩れせず大粒で色鮮やかです。

お赤飯を美しく彩ります。

 

ただし味の方は小豆にはるかに劣ります。

あまり美味しい豆ではありません。

 

決してささげを悪くいうつもりはないのですが、

お赤飯意外の料理に使われるのを私は知りません。

 

味よりも体面を重んじる武家のための食材といえます。

 

 

日本原産なのに知られていない果実その2

秋になると実るサルナシという果実があります。

日本列島、朝鮮半島、中国大陸の山に自生しています。

 

キウイフルーツを小さくしたような姿をしています。

実際にキウイフルーツと同じマタタビマタタビ属の仲間です。

 

野生種だけでなく最近は栽培もされるようになりました。

ベビーキウイの名で流通しています。

 

サルナシは漢字では「猿梨」と書きます。

猿だけでなく山に棲む動物たちにとってご馳走です。

とくに熊の好物とされています。

 

ではなぜクマナシではなくサルナシなのでしょうか。

それは「猿酒」の原料になる実といわれているからです。

 

猿酒とは猿が木の洞やくぼみで果実を自然発酵させて作る酒です。

意図的に猿が醸造しているのか偶然にできるのかは不明です。

 

ときどき猿酒を飲んで酔っている猿の姿が目撃されるそうです。

また誤って飲んだ鳥が酒酔い飛行することもあるそうです。

 

ところで私は子どものころキウイフルーツの季節は春だと思っていました。

果物屋さんがそう教えてくれたからです。

 

しかしそれは春になるとニュージーランドから輸入されるという意味でした。

実が生るのはもちろん秋です。

 

比較的栽培が簡単なため今では国内でも盛んに栽培されています。

最も生産量が多いのは愛媛県です。

みかん農家が転作しているためです。

 

ニュージーランド産は春に国内産は秋に出回ります。

 

もともとニュージーランドキウイフルーツは中国から伝わりました。

今から百年ほど前のことです。

 

当初は「チャイニーズ・グーズベリー」と呼ばれていました。

品種改良されてニュージーランドから輸出されるときに改名しました。

 

ニュージーランドの国鳥であるキーウィに因んだ命名です。

今から六十年ほど前のことです。

 

一般には見た目がキーウィの姿を連想させるからと信じられています。

 

日本でもキウイフルーツという名前で親しまれていますが、

昔は「西洋サルナシ」という別名もありました。

 

いつしかそう呼ばれなくなった理由はサルナシの知名度が低かったからです。

日本原産なのにちょっと悲しい果実です。

 

日本原産なのに知られていない果実その1

あまり知られていない日本原産の果実といえばアケビです。

 

アケビは柿と同じように日本を含む東アジアの原産です。

柿は英語でも「カキ」ですが、アケビも英語で「アケビ」といいます。

 

おそらく柿を知らない日本人はほとんどいないと思いますが、

アケビを知る日本人は決して多くはありません。

 

古くから日本各地の山に自生していますが、

その地域に住む人しか食べる機会がありませんでした。

 

私も子どもの頃に野生のアケビを食べた経験があります。

柿と同様に秋に実る果物です。

 

不思議なことに柿を取るときは大人の許可が要りますが、

アケビはいくら取っても叱られることはありませんでした。

 

柿と違って当時はアケビの商品価値がなかったのだと思います。

 

果物として栽培されるようになったのは近年のことです。

市場に出荷されるアケビのほとんどは山形県産です。

 

アケビの実は円筒状で鮮やかな紫色をしています。

熟すると果皮が割れて中から白い果実が出てきます。

 

アケビという名前は「開け実」に由来するそうです。

果皮が開いたときがちょうど食べ頃です。

 

実の形や甘味はバナナを連想させるところがあります。

しかしバナナと違って小さな種がぎっしり詰まっています。

 

一口噛んでは種を吐きながら食べます。

なかなか食べ難い果実です。

 

そのために柿ほど普及しなかったのではないかと考えられます。

たとえ美味しくても食べ難い果実は価値が低くなります。

 

もし品種改良されて種無しアケビが栽培されるようになれば

柿に負けない人気を博すことは間違いありません。

 

もっともそうなったら紫色のバナナと変わりません。

アケビらしさがなくなってしまって残念です。

 

市田柿とあんぽ柿

市田柿とあんぽ柿はともに干し柿の仲間です。

 

市田柿は長野県の旧市田村で栽培されていた品種です。

それを干した柿も市田柿と呼びます。

 

ですから柿の品種名でもあり干し柿のブランドでもあります。

南信州の特産品です。

 

一方あんぽ柿は干し柿の名前ですが品種名ではありません。

蜂屋(はちや)柿や平核無(ひらたねなし)を使って作られます。

 

大正時代に福島県の旧伊達郡で生まれました。

水分が高く、干し柿なのに半生状の柔らかさを持つのが特徴です。

 

私は福島県の生まれで小さい頃からあんぽ柿を食べてきました。

しかしなぜあんぽ柿という名前なのか一度も考えたことがありませんでした。

 

一説によると「あまほし柿」が変化したのではないかといわれています。

「あまほし」とは「甘干し」または「天干し」の意味です。

 

今はほとんど使われていませんが、私が子どものころは

あんぽんたんのつるし柿」という言葉がありました。

 

いわゆる言葉遊びの一種です。

「その手は桑名の焼きハマグリ」や「恐れ入り谷の鬼子母神」と同じです。

 

あんぽんたん」とは漢字で安本丹と書きます。

アホタラが撥音化したというのが定説です。

 

ですからあまり良い意味の言葉ではありません。

地方によってはかなり侮蔑的な響きがあるそうです。

 

私の故郷ではそこまで強い言葉ではありませんでした。

せいぜい「おっちょこちょい」程度の意味だと思います。

 

ですから使い方も穏やかです。

 

お弁当にお箸を忘れるなんてあんぽんたんのつるし柿だね。

といった感じです。

 

しかしあんぽ柿は全くあんぽんたんではありません。

むしろ優れた製法によって生み出された逸品です。

 

その秘訣は硫黄燻蒸にあります。

 

硫黄燻蒸とは硫黄を燃焼させて発生した亜硫酸ガスで

干し柿をいぶすという方法です。

 

それによって鮮やかな柿の色を保ちカビの発生を防ぐことができます。

防腐効果があるために水分が高くても比較的長く保存が可能です。

 

亜硫酸ガスは様々な食品に使われています。

じつは有害な物質なのですが、燻蒸してから柿を干している間に

完全に揮発するので健康に害はありません。

 

この硫黄燻蒸はアメリカの干しブドウの製法に学んだそうです。

研究を重ねて干し柿にも応用できるようにしました。

 

おかげでおいしい干し柿を食べることができるようになりました。

あんぽ柿の研究開発に携わった先人には頭が下がります。

 

あんぽ柿は決してあんぽんたんのつるし柿ではありません。

 

桃栗三年柿八年

桃と栗は芽が出てから三年で、柿は八年で実を結びます。

何かを成就するには相応の時間がかかることのたとえです。

 

古くから言い伝えられていることわざですが、

実際のところは何年かかるのでしょうか。

 

調べてみると桃栗三年は妥当な年数のようですが、

柿は六年で実ることもあるそうです。

もちろんたわわに実るにはさらに多くの年月がかかります。

 

ところでこのことわざには続きがあります。

私が知っているものはこういう言葉です。

 

柚子の大馬鹿十八年

 

私が知っているものとわざわざ断るには理由があります。

それは私が知らない表現も他にたくさんあるからです。

 

たとえばこんな表現があります。

 

柚子は九年で成り下がる

柚子は九年の花盛り

柚子は遅くて十三年

 

柚子だけではありません。梅もあります。

 

梅は酸いとて十三年

梅は酸い酸い十八年

 

他に枇杷もあれば梨もあります。

地方によって扱われる果物が違うようです。

 

しかしどうして後半の表現はたくさんあるのに

前半は桃栗三年柿八年に定着したのでしょうか。

 

それは前半部分だけが先に作られたからです。

桃栗三年柿八年が登場するのは平安時代だそうです。

 

「口遊(くちずさみ)」という書物を編集した源為憲(ためのり)が

作ったと伝えられています。

 

口遊とは太政大臣藤原為光(ためみつ)が七歳になる息子のために作らせた

いわば児童向けの言葉の学習書です。

 

この息子は後に藤原誠信(さねのぶ)となる人物ですが、

幼少期はたいへんな優秀であり詩歌の才能があったそうです。

 

父の為光は息子の才能を伸ばしたいと思い当時文人として知られた

源為憲に子どもが暗唱しやすい短文の言葉集を編集させました。

 

全文が現存していないので正確にはわかりませんが

その口遊の中に桃栗三年柿八年があったそうです。

 

さて天才と謳われた息子は成長して藤原誠信となりますが、

嘱望された詩歌の才能はどこかに消えてしまいました。

 

残念ながら歌人として名を残すことはありませんでした。

早熟の果実が必ずしも美味しいとは限りません。

 

桃栗三年柿八年

何かを成就するには相応の時間がかかるようです。

 

栗より旨い十三里

十三里とはサツマイモの異称です。

 

「栗より旨い十三里」は「栗よりもおいしいサツマイモ」という意味です。

寛政年間に江戸で生まれた言葉です。

 

「栗より」を「九里四里」に読み替えました。

九里と四里を足して十三里というわけです。

 

江戸っ子らしい洒落ですね。

 

じつは十三里よりも先に八里半という言葉が生まれています。

宝永年間のことです。

 

京都のある焼き芋屋さんが八里半の看板を掲げました。

九里より手前の八里半ということです。

 

栗ほどではありませんがおいしい焼き芋をお一ついかがですか。

そういう謙虚な気持ちが込められています。

 

京都の人らしい奥ゆかしさを感じます。

 

日本の食文化において栗はサツマイモの大先輩です。

縄文時代から食べられています。

 

「栗食めばまして偲ほゆ」と山上憶良万葉集で詠っています。

古くから庶民的な食材だったことがわかります。

 

サツマイモが日本に伝わったのは江戸時代と考えられています。

イネと違って荒地でも育つたくましい作物です。

 

享保の大飢饉があったときには多くの犠牲者が出ましたが、

サツマイモを奨励していた藩では被害が最小限で済みました。

 

それ以降サツマイモは全国で栽培されるようになりました。

米が不作のたびに多くの人の命を救ってくれたありがたい作物です。

 

10月13日はサツマイモの日だそうです。

埼玉県の川越で制定されました。

 

川越は江戸の日本橋から街道沿いに十三里離れた城下町であり

サツマイモの名産地でもあったと伝えられています。

 

この日はサツマイモに感謝しておいしくいただきたいと思います。