戦国武将の石田三成は柿が大好物だったと伝えられています。
各武将から三成に柿が贈られたという記録が残っています。
それに対する三成の返礼の書状も残っています。
三成自身もまた、他の武将をもてなすために柿をご馳走しています。
わざわざ柿を持参して不仲の武将を訪れたこともあります。
たとえば細川忠興がそうです。三成の天敵でした。
秀吉の死後、急速に仲が悪くなっていきました。
もっとも、仲が悪いのは忠興に限ったことではありません。
柿を受け取った忠興は、一礼して柿を食べたと伝わっていますが、
「こんなものでわしを懐柔するのか」と怒ったとも伝わっています。
計算高い策略家の三成のことですから手抜かりはありません。
おそらく前者の方が真実のようです。
当時は、柿といえば生の柿ではなく干し柿のことを指しました。
あえて干し柿と表現することはありません。
なぜならば戦国武将は安易に生の果実を食べたりしないからです。
生の果実はお腹をこわしてしまう恐れがあります。
戦国武将は食べものに細心の注意を払っていました。
常に毒見役を召し抱えているほどです。
色鮮やかな生の柿はたいへん美味しそうに見えますが、
武将にとっては禁断の果実だったのです。
やがて、三成は関ヶ原の戦いに敗れて処刑されることになります。
刑場に引かれた三成は、喉が渇き白湯を所望します。
残念ながら白湯はありませんが、その代わり柿があります。
おそらく刑場のそばに柿の木が生えていたのでしょう。
警護の兵は、柿ならあるぞと言って三成に勧めます。
しかし三成は、それを断ります。
「柿には胆の毒があるゆえに食さぬ」というのがその理由です。
実際に柿に毒はありませんが、体を冷やすのでよくないという意味です。
これから処刑される人間が体を気遣うのかと警護の兵は笑いますが、
三成は毅然として答えます。
「大望を持つ者は己の命を大事とし、本意を達せんとするものなり。」
最期まで武人としての誇りを捨てなかった三成の意地が感じられます。