おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしいことばを探してみましょう。

「桜桃」に描かれた太宰治の不器用すぎる生き方

 

世の中には、生きるのが不器用な人間がいます。

太宰治がその典型です。

 

自伝的小説「人間失格」を読むとよくわかります。

巧く生きるのがどうも苦手だったようです。

 

とくに晩年はそうです。生きる意味を失ってしまい、

酒浸りになり、自虐的な日々を送っていました。

 

妻にも幼い子どもにもまともな暮らしをさせられず、

それがさらに彼を苦しめました。

 

太宰治が亡くなる直前に書いた短編小説が「桜桃」です。

昭和23年に発表されました。

 

小説の主人公の男は明らかに太宰治自身がモデルです。

例によって、居酒屋で酒を飲んでいます。

 

子育てのことで妻とちょっとした言い争いをして、

家にいると気まずくなったからです。

 

酒を飲んで現実逃避しても状況は悪くなるばかりですが、

それを知っていながら酒を止めることができません。

 

何とも情けない男ですが、それが太宰治の姿なのです。

そのため最後は自らの身を滅ぼしてしまいます。

 

私はいつも「桜桃」を読むと、サンテグジュペリの名作

「星の王子さま」のある場面を思い出します。

 

星の王子さまが、呑み助の星に立ち寄ったときの場面です。

呑み助が酒を飲んで酔っ払っています。

 

星の王子さまは、なぜ酒を飲むのかと呑み助に尋ねます。

恥ずかしいことを忘れるためだと呑み助が答えます。

 

何が恥ずかしいのかと星の王子さまが重ねて尋ねると、

呑み助は酒を飲むことが恥ずかしいと答えます。

 

星の王子さまは、大人っておかしいなと思いながら、

呑み助の星を去っていきます。

 

太宰治もまさに呑み助と同じではないでしょうか。

自分を律することができない不器用な人間です。

 

居酒屋では大皿に盛られた桜桃が出されます。

桜桃とはサクランボのことです。

 

終戦後間もない時代のことですから、サクランボは

たいへん希少な果実です。

 

ただ、大衆居酒屋で大皿に盛られるくらいですから、

あまり高価ではないサクランボかもしれません。

 

それでも、家に持ち帰って子どもに食べさせれば

喜ぶだろうと主人公は考えます。

 

しかし、そうしません。不味そうに桜桃を食べては

種を吐きます。

 

私の知る限り、古今東西の文学作品の中でこれほど

不味そうに果実を食べる場面はありません。

 

今日、6月19日は「桜桃忌」と呼ばれています。

入水自殺した太宰治の遺体が発見された日です。

 

奇しくも、太宰治の39歳の誕生日でもあります。

もちろん生きていればということですが。

 

太宰治のお墓は東京三鷹の禅林寺にあります。

毎年「桜桃忌」には法要が営まれます。

 

多くの太宰治文学のファンが全国から参拝に訪れて、

墓前にサクランボを供えます。

 

私も何度か「桜桃忌」に行ったことがありますが、

サクランボの真紅の色がじつに印象的でした。

 

これほど悲しいサクランボの色を見たことがありません。

まるで不器用な太宰治の生き方を象徴するかのようです。