もし五代目小さん師匠に演じていただけるならばこんな噺が聴いてみたい
「除夜の鐘」
五代目柳家小さん師匠は、落語界で初めて人間国宝と認定された重鎮です。落語という芸術が初めて国家的に高く評価されたわけですから、その功績は前例のないほど偉大なものであるのですが、小さん師匠ご本人は至って庶民的な御仁であって、たとえどんなに偉い人物と思われようとも、一向にお構いなく、普段と変わらずじつに飄々とした味わい深い芸を演じていらっしゃいました。
むしろ人間国宝よりも、小さん師匠が誇りになさっていたのが剣道の腕前です。段位は範士七段といいますから、まさに剣道の達人です。落語家でもあり歴然たる剣道家でもあったわけです。「落語と剣道とどちらが好きかと問われたら剣道と答える」と語ったという逸話が残っているほどです。あながち冗談でもなく、本心でおっしゃったのではないかと思われます。
小さん師匠は、もっぱら滑稽噺を得意とされていらっしゃいましたので、巧みな語り口だけでなく、表情豊かな話芸には定評がありました。お若い頃はじつに愛嬌のある朗らかなお顔でいらっしゃいました。
ところが晩年はどちらかというと、いつも不機嫌で怒っているような不愛想なお顔をなさっていらっしゃいました。しかし、今にして思えばそれも芸の一つだったのかもしれません。面白くなさそうに面白いことを話すのは、小さん師匠だけでなく、柳家一門のお家芸であり、他の噺家にはなかなか真似ができない芸です。
数ある小さん師匠の伝説的な芸の中でも、とくに際立っている名人芸が、蕎麦やうどんをすする芸です。これはもう信じられないほど見事です。本当に蕎麦やうどんを食べているとしか思えません。むしろ本当に食べている以上に臨場感があります。
「芸は人なり」と小さん師匠は生前によくおっしゃっていたそうです。蕎麦やうどんを食べる芸を究めたということは、小さん師匠も麺類がお好きだったということなのかもしれません。落語の基本中の基本であり、初心者の稽古の演題とされている「時そば」や「うどん屋」を小さん師匠が得意としていたことからもそれは伺い知れます。
落語家として剣道家として八十七歳で生涯を閉じられましたが、最期まで「心は清廉潔白でなくちゃいけない」という言葉を常々おっしゃっていたと伝えられています。まったくその通りの一生であったと思います。
叶わぬ願いではありますが、もし小さん師匠に演じていただけるならば、このような噺を聴いてみたいと思って「除夜の鐘」という落語を創作しました。植木屋の長吉が大晦日にお得意先の家々を回って新年の門松を作るという噺です。お得意先の中には優しい人もいれば頑固な人もいます。そうした人々のやり取りの中で、江戸っ子の年末の風習を描写してみました。江戸の門松はなぜ斜に切るのか、江戸の雑煮はなぜ鶏肉と青菜だけの澄まし汁なのか、江戸の餅はなぜ「のし餅」なのか、噺の中で説明していますが、さり気なく蘊蓄(うんちく)を披露するのは古典落語の特徴です。昔の人は学校よりも寄席で多くの知識を学んだと言われる所以です。
もちろん小さん師匠に蕎麦を食べる芸を演じていただきたいので、年越し蕎麦を食べる場面も入れてあります。最後のオチは、なぜ除夜の鐘は百八回撞くのかです。じつは人間の煩悩の数が理由ではない面白い新説が語られます。天国の小さん師匠に、面白くなさそうに面白く演じていただければ幸いです。心底そう願っております。