おいしいことば

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もし五代目圓楽師匠に演じていただけるならばこんな噺が聴いてみたい 「般若湯」

もし五代目圓楽師匠に演じていただけるならばこんな噺が聴いてみたい

 

般若湯

 

 落語界では、名跡を代々継承していくことが古くからの伝統となっています。先代の名を受け継ぐというのは、たいへん名誉なことでもありますが、同時に大きな重荷を担うことでもあります。とくに先代が名人であれば、否が応でも比較されてしまいます。厳しい評価の眼に晒されることは必至です。そのため「名人に二代なし」と昔から言われています。名跡を守っていくのは並大抵のことではありません。襲名した弟子は、覚悟をもって師匠を超えるべく芸を磨いていかなければならないのです。

 六代目三遊亭円楽師匠は、生前よく「二代続く名人を目指したい」と公言して精進していました。先代の五代目三遊亭圓楽師匠のことを名人と認めているところがそもそも殊勝ですが、師匠の威光に臆することなく自身の独自の名人芸を真摯に追い求める姿勢は立派です。六代目を襲名しても旧字体の「圓楽」ではなく、常用漢字の「円楽」で通したのもその心意気の表れです。

 惜しむらくは、まだまだこれから活躍できる年齢でお亡くなりになったことです。五代目の享年にも届きませんでした。落語界に入門して以来、長らく三遊亭楽太郎を名乗っていましたので、六代目三遊亭円楽として活躍した期間はわずか十二年に過ぎません。先代が四十七年にわたって五代目三遊亭圓楽を務めたのに比べると決して長くはありませんが、師匠譲りの歯切れのよい芸風は、最盛期の五代目の面影を彷彿させてくれます。ときに歯切れのよすぎる辛辣な語り口から「悪太郎」の異名を取ることもあった六代目ですが、先代に比肩する名人と謳われることでしょう。

 五代目もまた愛弟子として六代目を可愛がり、早い時期から圓楽名跡を譲る意思を堅持していたようです。通常は先代が亡くなってから一定の期間を置いて襲名するのが慣例ですが、よほど六代目の才覚を見抜いていたのでしょう。生前に襲名の意向を表明していました。残念ながら襲名披露を待たずに五代目がお亡くなりになって、二代の揃い踏みのお披露目は叶いませんでしたが、その芸風はしっかりと五代目から六代目に継承されました。

 私は子どもの頃から五代目三遊亭圓楽師匠の落語を聴き慣れているので、どうしても圓楽という名を聞くと五代目の姿を思い浮かべます。面長で端正な顔立ち、長身を屈めて座布団に座る所作、凛とした視線、ときに温和なときに厳格な表情、知的な語り口、どれを取っても名人たる所以が感じられます。もちろん六代目も先代に劣らぬ立派な噺家ではありますが、私にとって六代目は円楽ではなく楽太郎であり、圓楽といえばやはり五代目の圓楽師匠の印象が強く残っています。

 五代目三遊亭圓楽師匠は、ご実家が浄土宗の寺院という出自のせいでしょうか、しばしば噺の中に読経を取り入れることがありました。畏まった口上がいつの間にか読経に変わってしまう滑稽な芸は、五代目三遊亭圓楽師匠でなければできない得意技です。その真骨頂を発揮した演目が「蒟蒻問答」です。僧侶に扮した蒟蒻屋が即興で怪しげな経を唱える場面があるのですが、経典ではなく「いろはにほへと」を使って見事な読経を演じてみせます。

 私が五代目三遊亭圓楽師匠の十八番の演目の中で最も好きなのは「浜野矩隨(のりゆき)」です。いわゆる人情噺の名作です。腰元彫の名人だった父の後を継いだ矩隨は、父の足元にも及ばない未熟な職人ですが、母の愛情や道具屋の人情に支えられて一流の腰元彫に成長していきます。その噺を演じるに当たって、五代目三遊亭圓楽師匠は本当に涙を流すことさえあったと伝えられています。一つの噺にも渾身の力を振り絞って感情移入していたことが窺えます。

 名人と謳われた父に比べられる息子の矩隨の苦悩は、どことなく六代目三遊亭円楽師匠の姿に重なります。すでに名人の地位を築いた五代目三遊亭圓楽師匠に比べられて、さぞや忸怩(じくじ)たる思いがあったのではないでしょうか。晩年の五代目三遊亭圓楽師匠は、好んで「浜野矩隨」を演じたそうですが、もしかしたら六代目三遊亭円楽師匠へのメッセージを込めていたのかもしれません。すなわち、この私を超えてみよと。

 もし五代目三遊亭圓楽師匠に演じていただけるならば、こんな噺が聴いてみたいと思って「般若湯」という落語を創作しました。般若湯とはお酒のことを意味するお坊さんの隠語です。公の場で大っぴらにお酒を飲むことができないお坊さんが密かにお酒を飲むときに般若湯と呼んでいました。お坊さんに成りすました酒好きの平八が、般若湯を飲み過ぎてたいへんな騒ぎになるという噺です。もちろん五代目三遊亭圓楽師匠にぜひ演じていただきたいので読経の場面をたくさん入れてあります。叶わぬ願いではありますが、高座の圓楽師匠を思い浮かべながら読んでいただければ幸甚です。

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