歌舞伎には女性の役を専門とする女形(おやま)と呼ばれる役者がいますが、落語にも女性の役と得意とする噺家がいます。桂歌丸師匠です。
歌丸師匠の芸には艶やかさがあります。女性の演じ方は、師匠である桂米丸師匠譲りの魅惑的な表現力を踏襲していますが、腕の振り方一つで女性と男性を演じ分ける技量は、米丸師匠とはまた異なった粋な趣が感じられます。話術だけに頼らず、細やかな表情を含めた総合的な演技力は、他の噺家に類を見ない卓越した才能を持っているといえます。
歌丸師匠のお生まれは横浜の真金町です。古くから遊郭として知られた土地柄ですので、おそらく女性の艶やかさを描写する歌丸師匠の技法は、幼少の頃より自然に身についていたのではないかと推察されます。実際に高座では、女性が口紅を差したり髪を整えたりする仕草を真似た「化粧芸」を得意としていました。また高座に上がらないときでも常に女性のような美しい言葉遣いを心がけ、一人称は「わたくし」を通しました。
晩年は古典落語の復興にも尽力され、遊郭を舞台とした人情物などをよく演じられました。古典落語の作品には、残念ながら性差別を感じさせるような描写がいくつか見受けられます。人権という考え方が未だ確立されていなかった時代の芸能ですから、現代的な価値観にそぐわない面もあります。しかし、女性に対する男性の優しい愛情や、妻に対する夫の繊細な気遣いを主題にした噺も少なくはありません。そうした微妙な男女の心情を描いた演目において、歌丸師匠の右に出る噺家はいません。
芸に厳しく人に優しい歌丸師匠でしたが、長い闘病生活の末に亡くなられました。叶わぬ願いではありますが、もし歌丸師匠に演じていただけるならば味わい深い噺になるのではないかと思って「夫婦茶碗」という落語を創作しました。大工の安兵衛と妻のお常が、ふとしたことで大家さんから夫婦茶碗を借りることになる噺です。さて、どのように展開するのでしょうか。高座の歌丸師匠を思い浮かべながら読んでいただければ幸いです。