おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしいことばを探してみましょう。

100年先に伝えたい日本が愛する鳥肉料理

「100年先に伝えたい日本が愛する鳥肉料理」は、次の14品を紹介しています。

 

「親子丼」

「治部煮」

筑前煮」

「焼き鳥」

「きりたんぽ鍋」

「軍鶏鍋」

「薩摩汁」

「北京ダック」

「かしわめし」

棒棒鶏

「ローストターキー」

「鴨南蛮」

「参鶏湯」

「タンドリーチキン」

 

 「鶏」という漢字は、生物学上の鳥類の一種を意味するときは「にわとり」と読みますが、料理の食材を意味するときは「とり」と読みます。「鶏の唐揚げ」「鶏の水炊き」などがその例です。「若鶏」「地鶏」といった表記も、慣用的に「とり」と読みます。また、当て字にも用いられ、「軍鶏」と書いて「しゃも」、「黄鶏」と書いて「かしわ」、「矮鶏」と書いて「ちゃぼ」と読みます。

 鶏の祖先は、東南アジアの密林に生息していたヤケイ(野鶏)という鳥類です。紀元前から中国で家禽として飼育されていましたが、弥生時代に日本に伝わったと考えられています。「にわとり」という和名は、「庭で飼う鳥」に由来しますが、その特徴的な鳴き声から古称を「かけ」といいます。古代の日本人の耳には、コケコッコーがカケーと聞こえたのかもしれません。もっとも現代の日本人の耳にもそう聞こえますが。

 鶏は当初は食用ではありませんでした。鳴き声で夜明けを知らせる「時告げ鳥」として神聖化されていました。太陽神に仕える鳥と信じられていたようです。よく通る甲高い声で鳴くのはキジ科の鳥類の大きな特徴ですが、鳴き声を鑑賞する目的で鶏が飼われることもあり、その声の美しさを競い合う「鳴き合わせ」という遊びもありました。また、美しい羽毛を持つことから愛玩用としても飼育されていました。

 鶏同士を闘わせる「闘鶏」は、古くから日本各地で行われていました。鶏には残酷ですが、どちらかが絶命するまで闘い続けるので、負けた方の鶏は、その場でさばかれて鶏料理として振る舞われました。そのため、闘鶏が盛んな地域では鶏料理が発達しました。薩摩汁などはその代表的な料理です。

 鶏が食用として普及していったのは、江戸時代のことです。闘鶏用としてタイから取り入れた軍鶏は、たいへん気が荒く闘鶏に適していますが、じつは肉質も優れているので食べても美味しい鶏です。すき焼き風に煮た軍鶏鍋は、江戸時代に食べられるようになり、坂本龍馬も愛した料理として知られています。

 それ以前は、カモ、ガン、シギ、ウズラ、キジなどの野禽を捕獲して食用としていましたが、「鷹狩り」などの狩猟を行う一部の武士階級を除いて、一般に野禽が庶民に流通することはありませんでした。

 とくに江戸のような大都市では、人口が急増して食材としての家禽の必要性が高まりました。同時に鶏卵の需要が増えてくると、近郊で養鶏が普及して鶏卵と鶏肉が流通するようになりました。卵を産まなくなった廃鶏を食肉に利用するだけではなく、初めから食用として飼育される美味しい品種もありました。

 近代以降になると、それまで日本人に馴染みのなかったアヒル、アイガモ、七面鳥ホロホロ鳥などの鳥肉が食材に用いられるようになりました。最近では、ダチョウやエミューなどの新しい鳥肉がそれに加わってきました。鶏が主要な鳥肉であることに変わりはありませんが、多様な鳥肉料理を味わうことができるのは大きな喜びです。

 ただし、いたずらに珍しい鳥肉ばかりを追い求めるべきではありません。かつて日本では、ツグミが「かすみ網」によって捕獲されて食用とされていました。戦後、鳥獣保護法によって食用の捕獲が禁止されたにもかかわらず、その後も密猟が横行しました。ツグミの粕漬けが珍味として好まれたからです。

 さらに時代を遡れば、ツルが食用として乱獲された時代もありました。古来、ツルは吉祥と長寿を象徴する霊鳥として日本人に愛されてきましたが、じつは武家社会において、高級食材としても扱われてきました。日本に飛来するマナヅルやタンチョウヅルなど、ほとんどのツルは食用とされていました。そのうち、いくつかの種は現在では絶滅危惧種に指定されています。

 ツルは、江戸時代には「三鳥二魚」の珍味の一つとして、各大名が競って徳川家に献上したといわれています。三鳥とはツル、バン、ヒバリとされることもあれば、ツル、キジ、ガンとされることもありますが、いずれにしてもツルが必ず入ります。ちなみに二魚とはタイとアンコウのことあり、現在では珍味ではなく通常の食材です。

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