「100年先に伝えたい日本生まれの美味しい洋食」は、次の13品の日本生まれの洋食を紹介しています。
「トンカツ」
「カレーライス」
「コロッケ」
「ナポリタン」
「エビフライ」
「ドリア」
「ミートソース」
「オムライス」
「カキフライ」
「ロールキャベツ」
「ハヤシライス」
「カレーパン」
「和食」に対して「洋食」という料理があります。西洋料理のことを指すこともありますが、多くの場合は西洋料理、とくにフランス料理を基にして、日本人の好みに合うように改良された料理です。ですから、洋食のほとんどは日本生まれです。
日本の食文化の長い歴史の中で、西洋料理は日本に二度伝来しました。一度目は、安土桃山時代の南蛮貿易によってもたらされた南蛮料理です。広義には、南蛮料理は中国や東南アジアも含む異国風の料理全般を意味しますが、ポルトガル料理も南蛮料理の一種として伝わりました。ただし、その後の江戸時代の鎖国政策によってポルトガルとの交易は途絶え、南蛮料理はすっかり和食に同化していきました。そのため洋食と呼ばれることはありません。
二度目の西洋料理の伝来は、鎖国が明けた幕末から明治維新にかけた時代です。欧米諸国からさまざまな料理と食材が伝えられましたが、当時の日本の料理人たちが学んだ西洋料理は主にフランス料理でした。政治や軍事や科学技術に関しては、イギリスとアメリカから学ぶことが多かったようですが、料理に限ってはイギリスもアメリカもそれほど執心ではなく、料理の知識と技術においては、とてもフランスに敵いません。むしろ、イギリスからやって来たカレー粉やウスターソース、アメリカからやって来たトマトケチャップなどの調味料が日本の料理に影響を与えました。
もちろん料理方法や調味料だけでなく、新しい食材ももたらされました。牛肉や豚肉などの肉類は、江戸時代まで獣肉食が忌避されてきたこともあって、和食にはほとんど用いられることがありませんでした。欧米の食事を日本に紹介して、食肉の有用性を説いたのは福沢諭吉といわれています。肉類は滋養に富み、食材としてたいへん優れていることを示し、四つ足の動物を食べることに罪悪感を抱くのは古い迷信であると主張しました。
牛乳やバターやチーズなどの酪農製品も、当時の日本人にとっては珍しい食材でした。じつは、日本でも中世において乳製品が作られ、平安時代には「醍醐」と呼ばれるチーズに似た食品がありました。しかし、武士の社会が到来すると、戦のために軍馬の需要が高まり、牛に代わって馬が飼育されるようになりました。そのため乳製品は日本の食文化の歴史から姿を消してしまいました。
新しい料理技法と新しい食材は、日本の料理人たちの創作意欲を強くかき立てました。教わった通りに西洋料理を再現するだけでなく、より日本人の嗜好に合った味を追求して創意工夫を重ねました。その結果、「コートレット」は「カツレツ」になり、「クロケット」は「コロッケ」になり、「ハッシュドビーフ」は「ハヤシライス」になりました。日本で生まれた洋食は、間違いなく日本独自の素晴らしい料理であり、日本の食文化において、和食と肩を並べる揺るぎない地位を得て、万人に愛され続けています。