織田信長は将軍も凌ぐ古今無双の天下人ですから、
贅を尽くした食事をしていたと思われがちです。
ところが、日々の食事は意外に質素なものだったそうです。
その理由は、信長が味音痴だったからといわれています。
しかし、有能な料理人を抱える食通だったともいわれています。
その有能な料理人の一人が、坪内石斎です。
石斎は、作れない料理はないとまで称された
当代一流の料理人でした。
もともと三好家に仕えていた料理人でしたが、
三好軍が信長軍に敗れて捕虜となっていました。
信長が天下布武のために上洛した際に石斎は初めて
料理を作るように命じられました。
石斎は腕によりをかけて京風に洗練された
最高の料理を調えて信長に供しました。
ところが、石斎の料理をひと口食べた信長は、
「不味くて食えぬ」と激怒しました。
その場で首を刎ねようと刀を抜いた信長に対して、
石斎はもう一度機会を賜りたいと懇願しました。
信長はそれを許して刀を収めました。
石斎はただ命乞いをしたわけではありません。
そのとき信長の味音痴を見抜いたのです。
京風に洗練された料理ではなく、むしろ野暮な料理の方が
信長に好まれると確信したのでした。
予想通り、上品とはいえない田舎風の料理を供したところ
信長は大いに満足したといいます。
そもそも織田家は由緒ある名家ではありません。
尾張の一地方の領主に過ぎません。
信長の父の信秀の時代になってから、
急速に勢力を伸ばしていきました。
信長が幼少から食べ慣れていた料理も
尾張に伝わる郷土料理だったのでしょう。
石斎はそれを考慮して料理を作り直しました。
食べ慣れた料理こそ最高に美味しい料理なのです。
それにしても、信長に仕える従者は命がけです。