おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

けんちん汁のけんちんとは何か

けんちん汁は、大根、ニンジン、ゴボウ、里芋、豆腐、コンニャクを

胡麻油で炒めて出汁で煮込み、醤油で味を調えたすまし汁です。

 

地域によって多少具材が異なり、ネギやシイタケが入ることがあります。

 

しかし元来は精進料理ですから、肉類や魚介類は一切使いません。

出汁もかつお節や煮干しではなく、昆布や干しシイタケで取ります。

 

穏やかな味わいの中に、野菜の滋味と胡麻の風味が感じられます。

寒い季節には、身も心も温まるありがたい料理です。

 

ところで、けんちん汁のけんちんとは何でしょうか。

 

鎌倉の建長寺で作られたことに由来するのではないかといわれています。

「けんちょう汁」が転訛して「けんちん汁」になったという説です。

 

しかし、この説はあまり信憑性がありません。

料理の古い文献に「建長汁」という表記が出てこないからです。

 

作家の水上勉氏も、建長寺説に異論を唱えた一人です。

 

「建」はわかるにしても、「長」は中国語でも「ちん」とは読まないと

かつて自書のエッセイの中で述べていました。

 

ただし、けんちん汁が建長寺の創設された鎌倉期のご馳走であることは

水上氏も認めています。

 

建長寺の祖である蘭渓道隆が、宋から招かれて鎌倉に来たときに

多くの典座が禅師に随行したと考えられます。

 

典座というのは、禅宗の寺院で料理を司る重職の僧侶のことです。

彼らが故国の料理を紹介したのだろうと水上氏は推測しています。

 

典座直伝の料理を日本風にしたものがけんちん汁かもしれません。

ただし、建長寺を起源とするかどうかはわかりません。

 

建長汁でないとすると、けんちん汁のけんちんとは何でしょうか。

 

辞典で調べてみると、どうやら「巻繊汁」が正しいようです。

巻繊とは、中国の精進料理に由来する普茶料理の一つです。

 

細く切った大根、ニンジン、ゴボウ、シイタケ、豆腐などを炒めて

湯葉や油揚げで巻いて、蒸したり揚げたりした料理のことです。

 

善光寺の精進料理として知られている「けんちん巻き」も巻繊の一種です。

 

また野菜や豆腐を炒めたり、蒸してあんかけにした料理も巻繊といいます。

「けんちん蒸し」とも呼ばれます。

 

いずれも精進料理ですから、肉類や魚介類は使いません。

素材を見る限り、けんちん汁に近い料理のようです。

 

巻繊の「巻」は巻くことを「繊」は細く切ることを意味します。

他に「巻煎」とも「巻蒸」とも表記されるそうです。

 

ひらがなで「けんちん」と書くのは漢字が難しいからでしょうか。

気のせいか、ひらがな表記の方が料理の優しさが感じられます。

 

地方によって「けんちょう」「けんちょん」「けんちゃん」「けんちゃ」など

さまざまな呼称があるそうです。

 

ちなみに、けんちん汁を味噌仕立てしたものを「国清汁」といいます。

建長寺を模して、伊豆にある国清寺に因んで名づけられたそうです。