子どもの頃、ご飯を残すと叱られました。
一粒のお米の中には七人の神様がいらっしゃる。
だからご飯を残したらばちが当たると。
そこで幼い私は考えました。
もし一粒のお米を半分にしたら
真ん中にいる神様はどうなるのだろうと。
不謹慎な子どもでした。
また、こんなふうにも言われました。
一粒のお米を作るのに一年かかる。
だから大切に食べなさいと。
そこで幼い私は考えました。
一粒のお米に一年かかるのならば、
お茶碗一杯のお米に何年かかるのだろうと。
でも一粒作るのも一年。
お茶碗一杯作るのも一年。
お櫃(ひつ)一杯作るのも一年なんですね。
幼い私は何だかだまされた気分になりました。
「米」という漢字を分解すると八十八になります。
一粒の米を作るには八十八の手間がかかるそうです。
昔の人はお米を大切に作ったのです。
ちなみに八十八歳のことを「米寿(べいじゅ)」といいます。
七十七歳は「喜寿(きじゅ)」といいます。
喜の草書体が七を三つ重ねた形だからです。
九十九歳は「白寿(はくじゅ)」といいます。
白は百から一を取った字だからです。
何だかクイズみたいですね。