おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

山の芋が鰻になる

「山の芋が鰻となる」ということわざがあります。

あり得ないことが実際に起きることのたとえです。

 

山芋も鰻も長細い形をしています。

その形から連想できなくもありません。

 

精がつく食べものであることも似ています。

 

肉食が禁じられている僧侶がこっそり鰻を食べるときに

口実として鰻を山芋と呼んだともいわれています。

 

しかし山芋が鰻になる本当の理由は鰻の生態にあります。

鰻の産卵はじつは昔から謎に包まれています。

 

川や湖などの淡水域で成長した鰻は海に下ります。

そのため海下(うなくだり)が鰻の語源ともされています。

 

鰻はフィリピン海域で産卵すると考えられています。

卵から孵化した稚魚はシラスウナギと呼ばれます。

 

はるばる日本まで戻ってきて川を上ります。

鰻の養殖はこのシラスウナギを捕まえて育てています。

 

ですから鰻が産卵するところを見た人は誰もいません。

山芋が鰻に変わるという迷信が生まれたのも当然です。

 

年々シラスウナギの漁獲量は激減しています。

そのため養殖鰻の価格もウナギ上りです。

 

二ホンウナギが絶滅危惧種に指定される恐れもあります。

このままでは鰻の蒲焼きが食べられなくなるかもしれません。

 

しかし鰻の完全養殖を実現するための研究が進められています。

近い将来、鰻の産卵を見ることができる日が来るでしょう。

 

あり得ないことが現実に起きる可能性があるのです。

山の芋が鰻になるかもしれません。

 

山芋と長芋

山芋と長芋は何が違うのでしょうか。

 

じつはたいへんややこしい話なのですが、

違うものでもあり同じものでもあります。

 

そもそも山芋という品種はありません。

学術的には「山の芋」というのが正式な名称です。

 

山野に自生する自然薯のことを指します。

里芋に対する呼称として使われてきました。

 

自然薯は「ヤマノイモ科」の日本原産の植物です。

 

それに対して長芋は中国原産と考えられています。

「いちょう芋」や「つくね芋」も長芋の一種です。

 

ところが「いちょう芋」や「つくね芋」は長芋と形が異なります。

そのため長芋と区別して「大和芋」と呼ばれることがあります。

 

本当は「いちょう芋」と「つくね芋」と「大和芋」は別の品種です。

つまり流通における商品の名称と品種の名称が一致していないのです。

 

このわかりにくさは消費者を混乱させてしまいます。

そこで山芋も長芋もあえて明確に区別しないで扱っているようです。

 

ですから山芋と長芋は違うものでもあり同じものでもあります。

もっともすり卸してしまえばどちらも「とろろ」になりますが。

 

とろろと山かけ

6月16日は「麦とろの日」だそうです。

麦とろとは麦飯に「とろろ」をかけた料理です。

 

山芋や長芋をすり卸したものをとろろといいます。

出汁や醤油で味をつけ、青海苔などの薬味を添えます。

 

食材に上にとろろをかけたものは「山かけ」といいます。

山芋をかけるからそう呼ばれています。

 

代表的な料理は「マグロの山かけ」です。

 

料理によっては上にかけずに隣に添えることがあります。

その場合は山かけとはいいません。

 

「となりのトロロ」といいます。

 

ジャガイモはなぜフランスに広まったのか

フランス語でジャガイモのことを「ポム・ド・テール」といいます。

「大地のリンゴ」という意味です。短く「ポム」ともいいます。

 

フライドポテトのことを英語で「フレンチフライ」といいますが、

フランス語では「ポム・フリット」と呼んでいます。

 

ポム・フリットはステーキの付け合わせの定番です。

フランスでたいへん人気のあるジャガイモ料理です。

 

しかしジャガイモがフランスに伝わってきた当初は

他のヨーロッパの国々と同様に食用にはされませんでした。

 

それどころか、悪い病気を引き起こすという迷信が広がり

ジャガイモの栽培を禁止する法律まで制定されました。

 

フランスでジャガイモの普及に貢献したのはパルマンティエです。

彼は栽培を促進するだけでなくレシピの考案にも努めました。

 

フランスには「アッシ・パルマンティエ」という料理があります。

挽き肉をジャガイモのマッシュで包んでオーブンで焼いた料理です。

 

「ポタージュ・パルマンティエ」というポタージュスープもあります。

もちろんジャガイモを使っています。

 

これらの料理はパルマンティエに因んで名づけられました。

 

パルマンティエは戦争ではプロイセンの捕虜になった経験があります。

そのとき食事で与えられたのがジャガイモです。

 

捕虜に食べさせる料理ですから美味しくはないかもしれませんが、

彼はジャガイモが食材としてたいへん優れていることに気づきました。

 

フランスに帰国後、彼はルイ16世の庇護の下にジャガイモを広めます。

それにはまず民衆に関心を持ってもらうことが大切だと考えました。

 

そこである秘策を思いつきました。

 

宮廷の近くにジャガイモ畑を作り昼間は厳重に衛兵に見張らせます。

その重々しい警備を見た民衆はこう考えました。

 

「この畑にはきっと貴重な作物が植えられているに違いない。」

 

ところが夜になると畑の警備が解かれて無防備な状態になります。

人々はこっそり畑に忍び込んでジャガイモを掘り出しました。

 

つまりわざと盗ませる作戦だったのです。

これが功を奏してジャガイモが広まったといわれています。

 

もっともこれはフリードリヒ大王の戦略とも伝えられています。

パルマンティエはそれを捕虜のときに聞いていたのかもしれません。

 

ジャガイモの普及にはマリー・アントワネット王妃も一役買っています。

 

宮廷では毎晩のように華やかな夜会が開かれていましたが、

王妃はジャガイモのブーケを飾って出席者の目を惹いたそうです。

 

ジャガイモの花は薄い紫色を帯びた白い清楚な花です。

バラやランのような妖艶で煌びやか花ではありません。

 

衣装にも宝飾品にも贅を尽くしたマリー・アントワネット王妃ですが、

かえってジャガイモの清楚な花を目新しく感じたのかもしれません。

 

王妃のおかげでジャガイモは少しずつ知られるようになりました。

しかしその食材としての価値は認識していなかったようです。

 

フランス革命の直前、家臣が国民の窮状を訴えるエピソードがあります。

 

「民衆にはもう食べるパンがありません。」

 

それを聞いたマリー・アントワネット王妃は有名な言葉を残しています。

 

「パンがなければケーキを食べさせればよい。」

 

本当にこの言葉通りに発言したのかどうかわかっていませんが、

国民の苦しみを理解しない王妃の人柄を表す言葉とされています。

 

もし王妃が食材としてのジャガイモの真価を知っていたならば

きっとこう答えたに違いありません。

 

「パンがなければジャガイモを食べさせればよい。」

 

ジャガイモはなぜドイツに広まったのか

ドイツ料理といえば真っ先にジャガイモが思い浮かびます。

代表的な料理は「ジャーマンポテト」かもしれません。

 

ところがドイツにはジャーマンポテトという料理はないそうです。

 

意外に思われますが、そういう呼び方をしないということです。

たしかにドイツの人がわざわざ「ドイツ風ジャガイモ」とはいいません。

 

ただしジャーマンポテトに似た料理はあります。

 

「ブラット・カルトッフェルン」と呼ばれています。

「焼きジャガイモ」という意味だそうです。

 

あまりにも素朴な名称ですが、それだけドイツの人々にとって

ジャガイモが身近な食材だということがわかります。

 

さてドイツではいつ頃からジャガイモが普及したのでしょうか。

 

ジャガイモはもともとアメリカ大陸原産のナス科の植物です。

トマトやトウガラシとともにヨーロッパに伝わりました。

当初は「悪魔の作物」ともいわれ、食用にされませんでした。

 

ジャガイモの栽培を奨励したのはフリードリヒ2世でした。

「フリードリヒ大王」とも呼ばれたプロイセンの偉大な国王です。

優れた指導者であり啓蒙思想家としても知られています。

 

プロイセンは宿敵オーストリアと長年にわたり戦争を繰り返していました。

そのため国土は荒廃して農地も焼失し、主食の麦の生産は減少しました。

 

そこでフリードリヒ大王が着目したのがジャガイモです。

 

麦と違って地中に育つので畑を荒らされてもほとんど影響を受けません。

しかも冷涼なプロイセンの気候に適しています。

 

フリードリヒ大王はかなりの美食家として有名でしたが、

自らジャガイモ料理を食べて普及に努めたそうです。

 

どのようなジャガイモ料理だったのか伝えられていませんが、

あるいはジャーマンポテトも食べていたかもしれません。

 

もしそうであるならばフリードリヒ大王に敬意を表して

ジャーマンポテトを「大王ポテト」と名づけてもよいのではないでしょうか。

 

男爵芋の男爵とは誰か

コロッケに向いているジャガイモな何でしょうか。

 

ジャガイモなら何でもいいというわけではありません。

ほくほくしたコロッケを作るには「男爵芋」が適しています。

 

ところで男爵芋の男爵とは誰のことでしょうか。

 

明治時代に活躍した実業家の川田龍吉男爵のことです。

欧米からジャガイモを取り寄せて北海道で栽培しました。

 

アイリッシュコブラーという品種だったそうですが、

一般には男爵芋の名称で普及しました。

 

現在もジャガイモの品種の中では最も多く栽培されています。

 

男爵芋の特徴はデンプン質が多く、ほくほくした食感があることです。

コロッケ、肉じゃが、粉吹き芋、じゃがバターに適しています。

 

しかし煮崩れしやすいので煮込み料理には向いていません。

煮物、おでん、シチュー、カレーには「メークイン」が向いています。

 

メークインはイギリス原産で、大正時代に日本に導入されました。

男爵芋と並んでジャガイモの二大品種として愛されてきました。

 

最近は、男爵芋メークイン以外に新しい品種が次々と生まれています。

 

「キタアカリ」は男爵芋譲りのほくほくした食感を持った品種です。

「とうや」は逆に滑らかできめ細やかな舌触りが特徴の品種です。

 

「ホッカイコガネ」は油との相性がよくポテトフライに向いています。

「トヨシロ」も油との相性がよくポテトチップスに加工されています。

 

「ニシユタカ」や「デジマ」は春先に新ジャガとして出荷されます。

「コナフブキ」はデンプンの原料として男爵芋に次ぐ生産量があります。

 

「インカのめざめ」はクリやサツマイモのように甘味があります。

そこから生まれた「インカのひとみ」という品種もあります。

 

これだけ種類が多いと料理をする楽しみが増えますが、

本当のジャガイモ好きの人にとって究極の食べ方は一つです。

 

それは茹でたジャガイモに塩を振って食べることだそうです。

単純にして奥義を究めた食べ方かもしれませんね。

 

コロッケが肉屋さんで売られるのはなぜか

日本語のコロッケの語源はフランス語のクロケットに由来します。

クロケットは小さな円筒形をした揚げ物料理のことです。

 

日本にクロケットが伝わったのは明治時代です。

コロッケという名称で西洋料理店の人気メニューになりました。

 

当時のコロッケはいわゆるクリームコロッケが主流でした。

ステーキやシチューに負けない高価な料理でした。

 

ジャガイモを使った庶民的なポテトコロッケもあったそうですが、

レストランのメニューに載るほど高級ではありませんでした。

 

それに挑戦したのが、レストランでまだ修行中の若い料理人でした。

安価で美味しいコロッケを食べてもらいたいという夢を持っていました。

 

試行錯誤の末、ジャガイモに挽き肉を混ぜて小判型にしてラードで揚げました。

私たちがよく知っているポテトコロッケの誕生です。

 

しかし、せっかくポテトコロッケが完成したのも束の間のことです。

関東大震災によってレストランが焼失してしまいました。

 

この若い料理人はレストランを諦めて肉屋さんになりました。

しかし安価で美味しいコロッケを食べてもらう夢は諦めませんでした。

 

彼は店頭で揚げたてのポテトコロッケを売り出しました。

肉屋さんですからコロッケに必要な挽き肉もラードもたくさんあります。

 

熱々でほくほくのコロッケはたちまち大評判となりました。

連日コロッケを求めて長蛇の列ができるほどです。

 

やがてコロッケの店頭販売は全国の肉屋さんにも広まりました。

こうしてコロッケが肉屋さんで売られる習慣が生まれました。

 

昭和30年代の横浜を舞台した「コクリコ坂から」という映画があります。

 

主人公の高校生が商店街の肉屋さんでコロッケを買う場面が出てきます。

コロッケが庶民的なお惣菜として親しまれていることがよくわかります。