おいしいことば

四季の料理と食材は美しい名を持っています。おいしい食べもののおいしいことばを探してみましょう。

ジャガイモはなぜドイツに広まったのか

ドイツ料理といえば真っ先にジャガイモが思い浮かびます。

代表的な料理は「ジャーマンポテト」かもしれません。

 

ところがドイツにはジャーマンポテトという料理はないそうです。

 

意外に思われますが、そういう呼び方をしないということです。

たしかにドイツの人がわざわざ「ドイツ風ジャガイモ」とはいいません。

 

ただしジャーマンポテトに似た料理はあります。

 

「ブラット・カルトッフェルン」と呼ばれています。

「焼きジャガイモ」という意味だそうです。

 

あまりにも素朴な名称ですが、それだけドイツの人々にとって

ジャガイモが身近な食材だということがわかります。

 

さてドイツではいつ頃からジャガイモが普及したのでしょうか。

 

ジャガイモはもともとアメリカ大陸原産のナス科の植物です。

トマトやトウガラシとともにヨーロッパに伝わりました。

当初は「悪魔の作物」ともいわれ、食用にされませんでした。

 

ジャガイモの栽培を奨励したのはフリードリヒ2世でした。

「フリードリヒ大王」とも呼ばれたプロイセンの偉大な国王です。

優れた指導者であり啓蒙思想家としても知られています。

 

プロイセンは宿敵オーストリアと長年にわたり戦争を繰り返していました。

そのため国土は荒廃して農地も焼失し、主食の麦の生産は減少しました。

 

そこでフリードリヒ大王が着目したのがジャガイモです。

 

麦と違って地中に育つので畑を荒らされてもほとんど影響を受けません。

しかも冷涼なプロイセンの気候に適しています。

 

フリードリヒ大王はかなりの美食家として有名でしたが、

自らジャガイモ料理を食べて普及に努めたそうです。

 

どのようなジャガイモ料理だったのか伝えられていませんが、

あるいはジャーマンポテトも食べていたかもしれません。

 

もしそうであるならばフリードリヒ大王に敬意を表して

ジャーマンポテトを「大王ポテト」と名づけてもよいのではないでしょうか。

 

男爵芋の男爵とは誰か

コロッケに向いているジャガイモな何でしょうか。

 

ジャガイモなら何でもいいというわけではありません。

ほくほくしたコロッケを作るには「男爵芋」が適しています。

 

ところで男爵芋の男爵とは誰のことでしょうか。

 

明治時代に活躍した実業家の川田龍吉男爵のことです。

欧米からジャガイモを取り寄せて北海道で栽培しました。

 

アイリッシュコブラーという品種だったそうですが、

一般には男爵芋の名称で普及しました。

 

現在もジャガイモの品種の中では最も多く栽培されています。

 

男爵芋の特徴はデンプン質が多く、ほくほくした食感があることです。

コロッケ、肉じゃが、粉吹き芋、じゃがバターに適しています。

 

しかし煮崩れしやすいので煮込み料理には向いていません。

煮物、おでん、シチュー、カレーには「メークイン」が向いています。

 

メークインはイギリス原産で、大正時代に日本に導入されました。

男爵芋と並んでジャガイモの二大品種として愛されてきました。

 

最近は、男爵芋メークイン以外に新しい品種が次々と生まれています。

 

「キタアカリ」は男爵芋譲りのほくほくした食感を持った品種です。

「とうや」は逆に滑らかできめ細やかな舌触りが特徴の品種です。

 

「ホッカイコガネ」は油との相性がよくポテトフライに向いています。

「トヨシロ」も油との相性がよくポテトチップスに加工されています。

 

「ニシユタカ」や「デジマ」は春先に新ジャガとして出荷されます。

「コナフブキ」はデンプンの原料として男爵芋に次ぐ生産量があります。

 

「インカのめざめ」はクリやサツマイモのように甘味があります。

そこから生まれた「インカのひとみ」という品種もあります。

 

これだけ種類が多いと料理をする楽しみが増えますが、

本当のジャガイモ好きの人にとって究極の食べ方は一つです。

 

それは茹でたジャガイモに塩を振って食べることだそうです。

単純にして奥義を究めた食べ方かもしれませんね。

 

コロッケが肉屋さんで売られるのはなぜか

日本語のコロッケの語源はフランス語のクロケットに由来します。

クロケットは小さな円筒形をした揚げ物料理のことです。

 

日本にクロケットが伝わったのは明治時代です。

コロッケという名称で西洋料理店の人気メニューになりました。

 

当時のコロッケはいわゆるクリームコロッケが主流でした。

ステーキやシチューに負けない高価な料理でした。

 

ジャガイモを使った庶民的なポテトコロッケもあったそうですが、

レストランのメニューに載るほど高級ではありませんでした。

 

それに挑戦したのが、レストランでまだ修行中の若い料理人でした。

安価で美味しいコロッケを食べてもらいたいという夢を持っていました。

 

試行錯誤の末、ジャガイモに挽き肉を混ぜて小判型にしてラードで揚げました。

私たちがよく知っているポテトコロッケの誕生です。

 

しかし、せっかくポテトコロッケが完成したのも束の間のことです。

関東大震災によってレストランが焼失してしまいました。

 

この若い料理人はレストランを諦めて肉屋さんになりました。

しかし安価で美味しいコロッケを食べてもらう夢は諦めませんでした。

 

彼は店頭で揚げたてのポテトコロッケを売り出しました。

肉屋さんですからコロッケに必要な挽き肉もラードもたくさんあります。

 

熱々でほくほくのコロッケはたちまち大評判となりました。

連日コロッケを求めて長蛇の列ができるほどです。

 

やがてコロッケの店頭販売は全国の肉屋さんにも広まりました。

こうしてコロッケが肉屋さんで売られる習慣が生まれました。

 

昭和30年代の横浜を舞台した「コクリコ坂から」という映画があります。

 

主人公の高校生が商店街の肉屋さんでコロッケを買う場面が出てきます。

コロッケが庶民的なお惣菜として親しまれていることがよくわかります。

 

イタリアのために祈ります

イタリア料理は日本でも人気ですが、その魅力とは何でしょうか。

 

一つめは日本料理と共通する点があることだと思います。

どちらも素材の持ち味を最大限に尊重します。

 

素材に手を加えすぎると、その美味しさが失われてしまいます。

イタリアの人々はそれをよく知っています。

 

たとえば「トマトソースパスタ」はイタリア人の大好物です。

調理法は驚くほど簡単ですが、驚くほど美味しい料理です。

 

ちょうど日本人が「もり蕎麦」や「素うどん」を愛するように

簡素な料理の中の深い味わいを楽しむことができます。

 

二つめは地域の料理と食材の個性が豊かなことです。

つまり郷土料理の多様性があるということです。

 

イタリアは日本と同じように南北に長い国土を持ちます。

そのため様々な海の幸と山の幸に恵まれています。

 

オリーブオイル一つ取っても地域の差は歴然です。

二つとして同じ風味のものはありません。

 

郷土の人々が郷土の食材に誇りに感じながら料理を作ります。

その料理が美味しくないわけがありません。

 

三つめは食べる喜びと楽しさを感じる料理だということです。

生きる喜びと楽しさと言い換えてもいいかもしれません。

 

イタリア人ほど人生を豊かに楽しむ術を知っている国民はありません。

家族を愛し友人を愛し、幸福を共有する才能にあふれています。

 

イタリア料理が美味しい理由もそこにあります。

 

愛する人のために愛情たっぷりに作られた料理であり、

みんなで美味しさを分かち合うために作られた料理なのです。

 

それがイタリア料理の魅力です。

 

しかし現在のイタリアは大きな苦難を背負っています。

嘆きと悲しみがイタリア全土を覆っています。

 

その苦しみを思うと言葉が出ません。

本当に心が痛みます。

 

料理の神様、どうかイタリアをお救いください。

 

イタリアに笑顔が戻りますように。

悲しみが癒されますように。

 

そして、美味しいイタリア料理がいつものように

イタリアの人々の日常に戻ってきますように。

 

その日が来るまで私は祈り続けます。

私の心はイタリアとともにあります。

 

カツ丼の誕生

カツ丼はいつ、どこで生まれたのでしょうか。

 

じつはカツ丼の発祥地を名乗る地域は日本各地にあります。

カツ丼ほど多くの起源説を持つ料理はないとさえ言えます。

 

そのためカツ丼の発祥地を特定することは難しいようです。

同様にカツ丼誕生の時期も正確にはわかっていません。

 

少なくともトンカツが生まれた後であることは間違いありません。

おそらく明治の終わりか大正の頃ではないでしょうか。

 

数あるカツ丼発祥地の中でも早稲田発祥説はよく知られています。

しかも、卵とじカツ丼とソースカツ丼の二つの起源があります。

 

卵とじカツ丼は、早稲田にある老舗の蕎麦屋で生まれたと言われています。

 

この蕎麦屋早稲田大学の創設者である大隈重信公とも縁が深く、

大隈家御用達の看板を掲げていました。

 

あるとき、宴会のために用意したトンカツが大量に余ってしまいました。

トンカツは当時としては高価な料理ですから捨てるわけにはいきません。

 

しかし冷めてしまったトンカツをお客に出すこともできません。

店主が困っていると、常連客の学生の一人が提案しました。

 

では玉子丼のように料理してみてはどうかと。

 

そこで店主はトンカツをそばつゆで煮て溶き卵でとじてみました。

これが大評判となりカツ丼と呼ばれるようになったそうです。

 

この蕎麦屋は私も学生の頃に行ったことがありますが、

店内にはわざわざこんな貼り紙が掲げられていました。

 

「当店のカツ丼はこだわりカツ丼ではありません。

普通の蕎麦屋のカツ丼です。」

 

元祖カツ丼の店と聞きつけてやって来るお客も多かったようです。

期待し過ぎないように配慮していたのかもしれません。

 

残念ながらこのお店は数年前に閉店したと聞きました。

ちょっと寂しい気分です。

 

一方、ソースカツ丼は早稲田の学生が考案したと言われています。

 

この学生は大学近くの店でいつもカツライスを食べていたそうです。

さすがに飽きてきたので、あるとき食べ方を変えました。

 

丼にご飯を盛り、食べやすい大きさに切ったトンカツを乗せました。

その上からとろみをつけたソースをかけました。

 

トンカツの油とソースがご飯にしみて絶妙の味になったそうです。

これがソースカツ丼の誕生です。

 

この学生自らこれをカツ丼と名づけて店の名物とするように勧めたところ

あっという間に早稲田界隈に広まったと言われています。

 

ソースカツ丼にはもう一つ別の説もあります。

早稲田にあった西洋料理店で最初に作られたという説です。

 

ヨーロッパで料理の修行をしていたこの店の料理人が帰国し、

料理発表会で披露したのがソースカツ丼だったそうです。

 

ヨーロッパで出会ったウスターソースを巧みに使いこなし、

白米に合う日本人好みの味付けにしたそうです。

 

この西洋料理店は今はもう早稲田にはありません。

 

しかしソースカツ丼を作った料理人が福井県の出身だったため、

後にソースカツ丼は福井の名物料理になりました。

 

福井県でカツ丼といえばソースカツ丼のことを指します。

 

全国にはじつにさまざまなご当地カツ丼があります。

 

ご飯にトンカツを乗せるという点は同じなのですが、

美味しく料理しようとする発想はとても豊かです。

 

カツ丼ほど多くの地域性を持つ料理はないと言えます。

 

トンカツの誕生

トンカツはいつ、どこで生まれたのでしょうか。

 

トンカツは今では日本食としてすっかり定着していますが、

日本人が豚肉を食べるようになったのは文明開化の時代です。

 

当時横浜にあった西洋料理店で、高座豚に天ぷらのような衣をつけて

油で揚げた料理を売り出したところ人気を博したそうです。

 

高座豚というのは、横浜に居住する外国人の食用のために

神奈川県の旧高座郡で飼育されていた豚のことです。

 

おそらくこれがトンカツの原型のような料理ではないかと思います。

 

ポークカツレツという名前が初めてメニューに登場するのは、

東京銀座の老舗の西洋料理店と伝えられています。

 

明治時代の終わりの頃です。

 

初めはデミグラスソースを使って豚の薄切り肉をソテーに仕立て、

付け合わせには温野菜を添えていたそうです。

 

いわゆるフランス料理の王道を行くような調理法だったようです。

それが少しずつ日本人の味覚に合うように改良されていきました。

 

薄切り肉のソテーの代わりに厚切り肉をフライにしました。

そしてデミグラスソースの代わりにウスターソースを使いました。

 

これこそ私たちのよく知っているトンカツの誕生です。

 

トンカツがいつ、どこで生まれたか正確にわかっていませんが、

大正から昭和の初期には現在の料理方法になっていたようです。

 

また、ポークカツレツの別称としてトンカツという名前が登場します。

 

やがてトンカツという名前の方が一般的に使われるようになり、

ポークカツレツとは呼ばれなくなります。

 

トンカツが日本人に愛されるようになった大きな理由の一つは、

キャベツの千切りではないかと私は思います。

 

千切りなどと言うと若い人に笑われてしまうかもしれません。

今風に言えばキャベツのコールスローです。

 

トンカツとキャベツの千切りは相思相愛の仲ですが、

初めから添えられていたわけではありません。

 

日露戦争が始まるころ、ある店の若い料理人が兵役に取られて、

厨房の人手が足りなくなりました。

 

そこで手間のかかる温野菜を付け合わせにするのを止めて、

簡単に刻んで作れるキャベツの千切りに替えたのが始まりです。

 

しかしこれが大当たりします。

 

生のキャベツのおかげで油っこいトンカツをさっぱりと食べられます。

しかもソースのしみたキャベツがまた絶妙の美味しさです。

以来ずっとトンカツの相棒として定着しています。

 

もしトンカツがキャベツの千切りと出会っていなければ、

果たして今日のような国民食になっていたでしょうか。

 

運命の出会いと言えるかもしれません。

 

カツレツとコトレッタ

日本語のカツレツの語源はフランス語のコートレットに由来します。

 

もともとコートレットは料理の名前ではありません。

仔牛や仔羊の骨付きのバラ肉や背肉のことを意味します。

 

フランス語ではリブロースのことをコートと呼びます。

コートレットは小さなコートという意味です。

 

一般には肉の切り身にパン粉をまぶしてバターで焼く料理のことも指します。

 

豚肉のコートレットがポークカツレツの原型と言われていますが、

初期のポークカツレツはポークソテーのような料理だったようです。

 

むしろ日本料理のカツレツはフランス料理のコートレットよりも、

イタリア料理のコトレッタに近いのかもしれません。

 

イタリアにはコトレッタ・アッラ・ミラネーゼという料理があります。

ミラノ風カツレツとして紹介されることもあります。

 

まず仔牛のリブロース肉を叩いて薄く延ばします。

できるだけ薄く広げるのがコツです。

 

よく象の耳にたとえられます。レストランのメニューにも

オレッキア・デレファンテ(象の耳)と表記されることがあるそうです。

 

塩とコショウで下味をつけ、溶き卵にくぐらせてパン粉をまぶします。

 

パン粉は目の細かいものを使いますが、パルミジャーノ・レッジャーノ

あらかじめすり下ろしておきます。

 

カツレツのように大量の油で揚げるわけではなく、

フライパンで片面ずつキツネ色になるまで焼いていきます。

 

肉を叩いて薄く延ばす理由がここにあります。

火を通りやすくするための工夫です。

 

バターで焼く方法とオリーブオイルで焼く方法がありますが、

その両方を使って焼くこともあります。

 

オリーブオイルだけで焼くときは仕上げに澄ましバターをかけます。

カツレツのようにウスターソースは使いません。

 

焼き立ての熱々にレモンを搾っていただきます。